コペンハーゲン・ニューハウンの運河沿いの家と沢山の帆船(観光用ですが朝が早いのでまだやっていません)
|
最後の旅行地デンマークはユトランド半島と大小500以上の島々からなり、国土の多くは緑豊かな酪農地帯です。
人口約551万人(2009年デンマーク統計局)、面積4万3千km²、九州とほぼ同じです。(除フェロー諸島及びグリーンランド)
マーグレーテ2世女王を国家元首とする立憲君主制を敷いていますが、王室は国民の信頼を得て健在ということです。
人々はヴァイキングの子孫ノルド系人種で、公用語はデンマーク語です。
1945年第二次世界大戦終了によりナチス・ドイツの占領から解放、1949年NATO加盟、1973年EC加盟。
国としても、EUの活動を重視し、2002年後半にEU議長国を務めているが、2000年9月に実施された国民投票でユーロ参加を否決しています。
通貨はデンマーク・クローネです。首都はコペンハーゲン。
「1867年の江戸幕府による修好通商航海条約締結に始まり、海運、貿易活動等を通じて友好関係が発展、維持されている。
日本は、デンマークにとってEU域外ではノルウェー、米国、中国、ロシアに次ぐ5番目の貿易相手国として重要な輸出先である。
日本に進出しているデンマーク企業は33社。ノボ・ノルディスク(洗剤、化学品、医薬品)、レゴ(玩具)、マースクライン(海運)、ロイヤル・コペンハーゲン(陶器)等がある。」(外務省より)
|
クロンボー城観光(世界遺産)
|
|
|
私にとってのデンマークとはアンデルセンの童話と、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台となったクロンボー城と、美味しいデニッシュパンという感じで、とても楽しみにして来ました。
まず朝一の観光はクロンボー城です。
クロンボー城のあるヘルシンオア市へ向かいます、コペンハーゲン市内を通り越し、エアンソー海峡の西岸を左手側に海を見ながら北上します。(上の地図参照・青色の丸))
右手側には左上の写真のような住宅街が並び、それぞれの個性ある建物や庭を見ながら通り過ぎることが出来ました。
クロンボー城は港町ヘルシンオアの北東端にある城塞です。
このヘルシンオア港の目の前はスウェーデンで5km程しか離れていません。
1492年、ここを通過する船舶に通行税を課し、政治的経済的に重要な港町となりました。
見えてきました、クロンボー城です。(右上の写真)
デンマーク語で「ボー」(borg)は「城」を意味し、デンマークでは単にクロンボーと呼ばれています。
左は日本語文字のパンフレットです。
その中を開くと、右図のクロンボー城の地図がありました。
クロンボー城の面積は18ヘクタール。
上が北を指しています。
このように海に突き出した地形です。
ここがスウェーデンまでが4kmという最短距離にあり、北海とバルト海を結ぶヨーロッパ海運の大動脈です。
ここを通過する船から通行税を徴収ために15世紀に城は建てられ、1577年フレデリック2世は、新しくルネッサンス様式の城に作り変え「クロンボー」と命名しました。
城が集めた莫大な額の通行税は全て王の収入となって、1850年の廃止まで数百年の間デンマーク王国の経済的基盤として絶対王政を支えました。 |
|
|
左上の写真は上の地図の赤丸・の位置から見た景色です、外掘りを渡ります。
さらに進み右上の写真は、赤丸・・の位置からの写真です。正面に見えるのはクロンヴェーケットの門(冠塞の門)で強固です。 |
|
程なく進むと、赤丸・・・の場所から真正面にクロンボー城が写真のように見えます。
この日は朝から雲が厚く青空が見えませんでしたが、雲が動き出しました。
ただ残念なのは屋根を修理したようで、銅板色のままです、この胴色が全部緑青色になるのに20年は掛かるというので、当分この景観のようで仕方ありません。
緑青色の部分が残されたところがあるので、想像力を逞しくして脳内変換です。(笑) まだ左側は工事中でしたが2010年に完成予定ということです。 |
|
|
右手側の高い塔は灯台のあるキングスタワーです。
赤丸・・・・は正面に見える門の脇から上に上がることができ、展望台になっています。
右上の写真はそこから青丸・方面を写しました、海とスウェーデンです。
本当に近い距離だというのが一目瞭然で、それでここも海からの防御要塞になっています。
「毎年数10万人もの観光客がウアスンド海峡の入り口を見渡せるユニークな場所にある、この城を訪れます。海外からの観光客にはこの城がシェクスピアのハムレットについて特別な印象を与えることでしょう。
デンマーク人にとっては大きな国家的象徴を表す歴史的モニュメントです。『クロンボー城を右舷に見る』ことは母国への帰国が間もないことを意味したのです。」(パンフより)とあります。 |
|
|
左上の右門が「暗い門」で、ここから中に入ります。
中に入った城内側の壁に、シェークスピアのレリーフが貼り付けてあります。(右上の写真)
確かに世界中の観光客が「ハムレット」の舞台と関連付けてくるでしょうが、その作者のシェークスピアはここへ来たことも、きっとこの城を見たこともないのではと言われています。
人々からこの城の噂を聞いて、モデルとして描いたものとされています。
ヘルシンオアの名前も間違って伝わったか、または英語読みで「エルシアノ城」となったと言われています。
「ハムレットのモデルとなったクロンボー城の実在の王子AMLETHの名前(上から2行目)の最後のHを頭につけてHAMLET(7行目)にした」ということがレリーフの下の文章に書かれています。 |
正門 |
トランペット奏者の塔 |
青丸・・が左上の写真の正門です。1576年に作られたこの門は北棟から庭園へと続いています。
中に入ると広い中庭があり、真正面には一番高い塔(左上の写真)があり、トランペット奏者の塔で、特別の行事、危険の際にここでファンファーレが吹かれるそうです。
火災で2度も焼け落ちたそうですが、再建されています。 |
|
上の写真は子供たちの郊外活動でしょうか、先生の説明で集まっています。青丸・・・で、ここにはイタリア・ルネッサンス調の噴水がありました。
中庭の中央に位置するこの噴水はフレデリック2世時代のものが戦利品としてスウェーデンに持ち去られた後のものです。 |
|
|
その子供たちに、ほとんどジェスチャーですが、カメラを見せて撮ってもいいか?と言うと笑顔を見せてくれます、そしてデジカメと承知なのでしょう、すぐに寄ってきて自分の画像を確認します。(笑)
Thank you と言って、手を振って分かれますが、可愛いですね。
北側は王の居室 西側は王妃の居室 南側が教会となっていて、子供たちの左後ろのドアがその教会のドアです。
右上の写真は以前中庭の中央にあった噴水の縮小模型(館内に展示)です、凝った装飾で相当の高さがあります。 |
|
|
こちらが青丸・・・・で、教会の入り口です。(左上)その中は豪華な装飾を施した礼拝堂でした。(右上) |
王の間・王の肖像画 |
王妃の間・食卓の様子が
|
大広間・「騎士の間」 |
高価なタペストリーの展示 |
館内には16世紀後半から18世紀初頭に収集されたタペストリーや絵画、家具が展示されています。
天井の装飾画も凝っていて、ドア回りの彫刻や金箔も豪華でした。
豪華で緻密なタペストリーも色鮮やかで、織り進むのに大変な日数が掛かる高価なもので、上のタペストリーの中央に3匹のライオンのデンマークの紋章が織られています。
これも一時スウェーデンに占領された時に持ちされれた物が返って来たそうで至宝だそうです。 |
|
|
エーレ海峡を睨む大砲群 |
外堀の白鳥の親子 |
シェイクスピアの「ハムレット」(1600年から1602年に書かれた)は戯曲なので、この立派なクロンボー城を見てもちょっとイメージが沸きませんでした。
というか、ローレンス・オリヴィエ の「ハムレット」のモノクロ映像が頭から離れないからかもしれません。。
帰り際に、クロンボー城に別れを告げ、外堀を見ると白鳥の親子で水辺に遊ぶ姿を見て、こちらはアンデルセンの童話の世界が浮かびました。 |