7日目 アーマー・モナスターボイス・タラの丘

       
    これまでの軌跡として、アイルランドの首都ダブリン着後西に移動をし、アスローンでハイクロスを見て、モハーの断崖からアラン諸島をめぐり、その後は北上を続け、スリーブリーグで、600mの断崖から大西洋を眺め、北アイルランド第2の都市、デリーを散策し、今回のツアーの最北端、奇怪な景勝地ジャイアント・コーズウェイ見学し、北アイルランド第一の都市ベルファストに2連泊しました
 
アイルランド島は歴史的な慣習から自治権のないコノート、マンスター、レンスター、アルスターの4つの地方に大別される。これらは32の州 (county) で構成されるが、この内のアーマー、アントリム、ダウン、ティロン、デリー、ファーマナの6州がイギリスの統治下にある北アイルランドに属している。

今日はベルファストを発ち、アーマー、タラの丘を経由してダブリンまで南下します


 
  アーマー    
 
 聖パトリック教会(カトリック)
 
  アルスター神話の舞台であり、聖パトリック が教会を建てた地でもあるアーマーはアイルランドの歴史を語る上では欠かすことができない町であり、アイルランド全土の宗教首都とも言える聖地です
近代初期に町は衰退しますが、18世紀にいなるとリチャード・ロビンソン大司教の出資のもと数多くのジョージア王朝時代の建築物が建てられます、
小さいながらもダブリンを彷彿とさせる美しい町に生まれ変わりました鉄道はないのでバス移動によります、
バスステーションをセンターにし、北西の丘の上に聖パトリック教会はあり、2本の尖塔を持つのが印象的です
1840年に建設が始められたが、大飢饉に建設費を市民救済の費用に転用したため、作業は大幅の遅れ、1904年になってようやく完成しました、ケルト的な渦巻きの文様を多用したり、内装もアイルランドを前面に押し出い出され見応えがあります

聖パトリックが、アイルランドでのキリスト教伝道に成功したのは、ケルト人の風習と宗教の理解に努め、キリスト教との融合を図ったということで、シャムロック(カタバミやクローバーなどの葉)が三つ葉なのは、三位一体を具現していると説明し、キリスト教を広めていったそうです
なお、聖パトリックが建てたのはこの聖堂だけではなく、生涯365もの教会を建てたことでも知られているようです
 
     
  中の様子です、天井が高いです   聖書の内容を描いたステンドグラスも綺麗です   
     
  聖パトリックの像でシャムロックはアイルランドの国花にもなり、3月17日の≪聖パトリックの日≫に人々が緑色を身に付けるのは、シャムロックの葉の色が由来になっているそうです   こちら聖パトリック教会を出た丘の上から、町並みと向かいの丘を撮りました。
その丘の上にもう一つのパトリック大聖堂があります
450mしか離れていません 
 
     
  アーマーの町並みです   木々が豊かで、芝生の緑も濃い公園で、ローラースケートをする子おdもたちと犬の散歩をする人々がいました   
 
 聖パトリック大聖堂(アイルランド教会)
 
  ここは445年、聖パトリック自身が石造りの教会を建てた場所です、この教会はやがて国が召し上げ、プロテスタントの教会として使われます、それで近い場所に二つの教会があります
現在の教会は13世紀に建てられたゴシック様式の物に改築を重ねたものです 
 
     
  教会内部   教会の正面入り口付近です   
  モナスターボイス     
     
  まるで5〜6世紀にタイムスリップしたかのような景観が広がります    畑の中の道を進むと、そこには高いハイクロスと、ランウンドタワーと初期キリスト教のアイテムを兼ねそろえた教会跡があります   
 

ボイン川渓谷から北へ、いくつかの丘を超えた先にある教会跡で、聖パトリックの弟子の聖ブイトが5世紀に建てたものだそうです、すごく古いものです
先端が破壊されたラウンドタワーの周囲に多くの墓標が林立しその中にひときわ背の高いハイクロスがあります、これは10世紀のもので、アイルランドで最も有名な十字架のひとつだそうです
 
 
   
 
  教会跡の建物の壁が残っています、その壁よりも高いハイクロスが左側に、見えています、このハイクロスには全面に見事なレリーフが施されている、日輪配した十字架の中央に最後の審判を示す聖人を配し
  柱状の周りにはキリスト降誕の時に贈り物を持ってきた三博士、民を率いるモーゼ、禁断の果実を手にしたイブとアダムなどの聖書の物語が描かれ、文字の読めない人への教育に使われたそうです   
     
  モナスターボイスの表示がありました   その隣の土地は何でしょう、管理棟でしょうか?
沢山の綺麗な花が咲き乱れています
 
 
 
余りに美しいので、写真に撮りました、色彩も自然に馴染む色合いで、隣の遺跡群と自然と合わさります
 
  タラの丘   
     
  HILL of TARAと表示があります、「タラへ帰る」その地へやってきました   バスから降りると、またもや雨が降り出しそうです
聖パトリックの像があります 
 
     
  メンヒル『ファルの石」、王を選出するときにつかう
王の即位は立石の前で行われ、その繁栄は失われたものの12世紀までこの役割は残されていた。
  戦没者の墓碑です   
   
タラの丘はメンヒル「ファンの石」と墓碑が中央にあり、後はただただ広い草原があるのみでした

 
  美しい丘にかすかに遺構を残すタラの丘ですが、紀元前200年ごろからアイルランドに移住してきたケルト人が瞬く間に先住民を追い出し、大小の国を形成した、やがて王の中の王タラを中心に緩やかな連合国家を形成した、しかしケルト人は強力な王の下で統制のとれた国家形成を好まず、タラの王は絶対的な行政権は持たない宗教色の強い象徴的な存在であった、やがてタラを中心とする地域は聖地となり繁栄した
キリスト教が入り込むようになってから衰退したが、聖地としてケルトの人々の心に、現在も生き続けている
移民として世界各地に散ったアイルランド人に「タラに帰る」という言葉は「アイリッシュとしての心・望郷」という意味があるという 

隣国イギリスに力で押さえられ17世紀に植民地化され、それ以来独立運動がおこり、アイルランドに居られなくなった活動家はアメリカへと亡命したり、その後1845年におこったジャガイモの大飢饉で、死者100万人、アメリカへの移住100万人とも200万人とも言われています
「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラの父は、そのアイルランドからの移民の中では裕福な移民で、成功し大農園を拓き、その農園にアイルランドの聖地タラの名前をつけたということです。
アイルランドの現在の人口500万人にたいして、アメリカに渡ってきたアイルランド系移民の子孫たちの人口は3500万人だそうです、また彼らはカトリック教徒が多く、差別を受けたそうですが、力仕事の多い、警官や消防士の仕事は今でも多いそうで、そう言う職業に付けなかった者の中には下層社会を構成したり、マフィアになった者もいたということです。

アイルランド系アメリカ人の中には、ケネディ一家や、レーガン、クリントン元大統領や現オバマ大統領の母方もそうだそうです、
クリント・イーストウッド監督や、グレース・ケリー、ジョニー・デップや、ウォルト・デズニー、ジョン・フォードと多くの有名人がいます

なお、この飢饉の間も、イギリス人が支配していた小麦の大地では以前と変わらず収穫が上がっていましたが、それらはすべてイギリス本土へ送られ、次々と餓死していくアイルランド人の口に入ることは決してありませんでした
1997年、イギリスのブレア首相は、アイルランドで開催されていた追悼集会において、1万5千人の群衆を前に飢饉当時のイギリス政府の責任を認め、謝罪の手紙を読み上げた、これはイギリス政府の要人からの初めての謝罪であったということです


 
     
  その”心の故郷”のタラも今はのどかで、犬の散歩で出会った人たちが和む時間となっています   幾つか古墳もありますが、ここにもハイクロスが一つ忘れ去られたように佇んでいました   


  
   食事・その他      
  昼食      
 
 
 
 
  魚のフライ    ポテト  
 
 
 
  デザートのフルーツ   昼食を頂いたレストランです   
  夕食とアイリッシュダンス      
 
 
 
  サラダ   肉料理   
 
 
 
  ショーが始まりました、ツアーごとにテーブルについていますが、世界各地から大勢の観客です   不動ですが、細かく足で タップを踏んでいます  
 
 
 
 
  男性女性ともに3人づつ、細かく激しい動きです、でも上体は動きません    ダブリンへ1周回って帰ってきました
着いた時と同じホテルですが、部屋は違います
 
       

 


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