8日目 ダブリン市内観光・フリータイム

   ダブリン市内見学   
 
  1周回って、アイルランドの首都ダブリンへ帰ってきました 
ダブリンには1000年を超える歴史と豊かな伝統があり、多くの有名な作家や芸術家、音楽家が生まれました、
8世紀にヴァイキングが占領し城壁のある街に発展させた、

イングランド王ヘンリー2世がダブリンをアイルランド支配の拠点としたのは12世紀後半のこと16世紀になると、市街は城壁の外まで拡大し、18世紀後半には大英帝国第2の都市として発展した、現在でも街にはジョージ王朝様式の美しい建物が見られる

19世紀に後半から独立運動の中心となり、1916年にアイルランド自由国独立して以来、ダブリンはその首都として発展し、近年お洒落なテンブル・バーの開発も進められた、

洗練された都会だが、人々は素朴で親しみやすく、1000軒を近くあるパブではギネスを片手に伝統音楽が楽しめ、議論に花を咲かせられるそうです


 
   聖パトリック大聖堂      
 
 
 
  アイルランド最大の聖堂で、 5世紀の中ごろにはアイルランドの聖パトリックがこの場所で改宗者の洗礼を行っていたとされ、その後12世紀末に現在のような石の大聖堂が建てられます
現在は聖パトリック大聖堂はプロテスタントの教会ですが、14世紀初頭から16世紀初頭にはアイルランドで最初の大学としても使用され、かつてはアイルランドの民衆の大聖堂でした
16世紀にヘンリー8世の宗教改革によって教会の保有する財産を没収されたり、その後アイルランドでクロムウェルが侵攻した際には大聖堂を馬屋として使ったりもしたそうで、17世紀後半には150年ぶりにカトリックの手に戻ってきたものの、それも長くは続きません、このように聖パトリック大聖堂は、アイルランドの激動の歴史とともにあったと言えるでしょう
 
     
  大聖堂の隣に、広々とした芝生と花の公園があり、その東のレンガ壁には文学パレードという展示があって、スィフト(右の写真)、マンガン、イェイツ、ジョィスら、お馴染の作家たち11人が並んでいます、そのうちの一枚が右の写真です   セントパトリック大聖堂の歴代司祭のなかには「ガリバー旅行記」で有名なジョナサン・スウィフトもいます 、彼は1713年から1745年まで大聖堂の首席司祭であり、永遠の恋人(友人)のステラと共に教会の床に埋葬されているそうです  
     
  こんな可愛い舟型をしたバスが通り、子供の歓声が上がります、見学学習のようです
  良く見ると、ヴァイキングの船の形をしています
8世紀ヴァイキングが進攻し、ただ支配することなく同化し町を作ったところもあります 
 
   ギネスビール      
     
  世界的に知られるギネスビールはここダブリンで始まりました、1759年アーサー・ギネスは使われていない醸造所を年45ポンドの対価で9,000年間の賃貸契約をした、10年後そこで自己開発した黒ビールを1769年にイギリスに輸出します   それが現在は4億パイント(2億2720l)も生産しています
世界120か国に輸出しています
現在は工場も26ヘクタールあり、7階建てのギネスハウスもあり ます
 
     
  日本では長く「ギネスブック」の名称で親しまれてきた、記録も発案はギネス醸造社長ですが、2000年、ギネス醸造所から独立。これをきっかけに、タイトルを「ギネス・ワールド・レコーズ」に改称され現在本社はイギリスのロンドンにあります、   ギネス一族の大聖堂へのサポートはベンジャミンのみでなく、初代アーサー・ギネスはじめ、歴代多くの寄付をおこない、また、従業員宿舎だった建物や施設を市に譲渡しています、上の赤煉瓦の建物も市に提供された建物です  
   ナショナルギャラリー(国立美術館)      
     
  国立美術館で、混雑するので、2グループに分けられました、リュックをはじめとする大きな手荷物は禁止で、預けました   手荷物は駄目ですが、写真撮影は可能ということでした、2階にヨーロッパ人の作品があり、カラヴィジオの「キリストの逮捕」という絵が人気だそうです   
     
  こちら小学生の団体ですが、まず銅像を触らせています、日本じゃ”ダメ”と言われると、教え方の違いを感じました   こちら、フェルメールの絵です、フェルメールらしいタッチと色彩です   
     
  街並みです、かなり古い建物です   2階建て観光バスもやはり、緑色です   
   トリニティカレッジ      
   
 
  1592年エリザベス女王 によって創設され、アイルランド最古の名門です
設立当初はダブリンに暮らすプロテスタント(国教会)にのみ入学が許されていました、また、カトリックからプロテスタントに改宗した者は授業料が、免除されたそうです
18世紀にアイルランドにおけるカトリックの差別撤廃が進むと、1793年にカトリック教徒の入学も許可されるようになった。これはイングランドのケンブリッジ大学やオックスフォード大学よりも早く、それらの大学のモデルとなり、現在は7割以上がカトリックの学生ということです
多くの観光客はこの芝生のある校舎の右端に長い行列を作り、待ちます
 
   


行列の多くの人々はこのトリニテイ旧図書館と、その特別室に置いてある、「ケルズの書」や「ダロウの書」が目的です
この図書館は日本の国会図書館同様に法廷納本図書館であり、アイルランドおよびイギリスで発行された本の納本が義務づけられています、蔵書数は500万で、6つの図書館に分かれていて、この旧図書館は最も古い建物で、1712年建てられました
この長さ65メートルのロングルームには約20万冊収めれれています、南側には大理石でできた胸像が並びびます
 
   
 
  「ケルズの書」とは豪華な装飾が施された福音書で、アイルランドの最高の宝と言われています
こちら「ケルズの書」の写真は、もちろん撮ることは出来ないので、本から借りました、実物はもう感動もので、なめし皮を綺麗に製本して、見事な絵と字、そして彩色が色鮮やかに残っていました
  15世紀頃に制作されたアイルランド最古のハーブが展示されています
ハーブはアイルランドで発行されるユーロの硬貨にもなっています、ギネスビールの絵柄でもあります 

 




   フリータイム      
     
  トリニティカレッジでツアー見学は終了し、オプショナルツアー組はバスで出発し、私たちは一人旅行の方と3人で街巡りをします   トリニティカレッジで、昼食を済ませ、近くのいわゆる繁華街から散策です   
     
  こちらは通りにある新聞売りです、散策を始めてからも、いきなり風が吹き雨が降り出し、決して長くは降らないのですが、よく天気が変わります、このケース入りは必須アイテムだと思いました(笑)   雨が降ればお店に入り、ウインドウショッピンングし、上がると外へ出るを繰り返しました、すると通りの正面に、聖アン教会が見えてきました   
   聖アン教会      
     
  これは小さい教会ですが、カトリックの教会で、カトリックの方の人数は遥かに多いのですが、教会は小さいです   覗いた土産物店が緑一色で、壮観でした   
   セント・スティーブンス・グリーン      
     
  9ヘクタールもある市民の憩いの場です、四季を通じて花が咲き乱れます、19世紀のはじめには同地の住人用の庭として使われ一般市民は入場料が必要だったそうです   アーサー・ギネス(ギネス創始者)が、1887年誰もが自由に出入りできるように議会に法律を提出し、湖や噴水、花壇や木々などの庭づくりに出資し、彼の人尽力により市民の憩いの場となりました  
     
  随分近代的なトラムです
自由散策は全て歩きだけできます、ホテルへの戻りはバスです
  大通りです、若い女性がたむろしているところが、ダブリンで美味しいチョコレートのお店バトラーズで、チョコレートドリンクを飲みました、ほんのり甘くて元気が出ました   
   ダブリン城      
 
 

ダブリン城はダブリンの歴史の中心です、ダブリン城は1204年ジョン王によって建てられて以来、7世紀にもわたって、アイルランドにおけるイギリス支配のシンボルでした、1864年には火事で崩壊し、当時の建物としては、この石造りの塔の一部が修復されて残っています
 
     
  第一次大戦中は赤十字病院として使われ、戦後8年間は裁判所となり、最近では大統領の就任式や国際会議の会場として使われるそうです   べドフォード・タワーの横にある、門の上に立っている女神像です   
   クライスト・チャーチ大聖堂      
 
 
 
  ダブリン最古の教会と言われ、当然カトリックの教会でしたが、ヘンリー8世によって「プロテスタント」のアイルランド総本山になっています

 聖パトリックの設立以来数十年にわたってかなりの緊張のまま対立状態は継続して、結局1300年に調印された6つの要件からなる構成法(Pacis Compositio)によって解決した、これは法的には1870年まで有効であったが、内容は以下の通り。
・ダブリン大司教 (大主教) の聖別および任命式はクライストチャーチで行う。 - ただし記録ではそれが必ずしも守られていなかったことを伝えている。多くの大司教任命では両方で行われており、加えて少なくとも2例では聖パトリック大聖堂のみで行っている。
・クライストチャーチは司教区 (主教区) の本山と上級大聖堂として形式的な優先順位をもつ。
・クライストチャーチは亡くなった各ダブリン大司教の十字架、ミトラ、および指輪を所蔵する。
・亡くなったダブリン大司教の遺体は本人の意思が無い限りは2つの大聖堂に交替で埋葬していく(つまり、クライストチャーチに1人が埋葬されたら次の大司教は聖パトリックに埋葬される)。
・司教区にまわす塗油用の油の聖別はクライストチャーチが執り行う。
・二つの大聖堂は一つとして振る舞い、特権も等しく分け合う。

その後の数世紀、国教が廃止されるまでの間2つの大聖堂は主教区の中でともに機能し、現在ではひとつ (クライストチャーチ) はダブリンおよびグレンダーロッホ主教区の大聖堂に指定され、そしてもうひとつは国立大聖堂になります
 
     
  橋の廊下で繋がったこちらの教会もクライストチャート教会です
ダブリン最古の教会で、まるでお城のような石造りです、
  カトリックの人たちは人数は多かったのですが、プロテスタントのほうが少数でも強大な力を持っていたので、教会も大きかったのです  
   税関      
     
  リフィ川に向かい合って建つ税関、1921年の独立闘争の際に、英国帝国主義の象徴としてのこの建物に火が付けられ5日間燃え続けたそうです。    1986年から修復工事がされ1991年に完成したそうです
緑色の丸屋根の上にはリフィ川を望む「川の女神」の像があり、白亜の建物に映えます
 
   中央郵便局      
 
 
 
  イオニア式の柱廊玄関が印象的な中央郵便局はオコンネル・ストーリーに堂々と建っています、1815年フランシス・ジョンストンのデザインで建てられ、彫刻入りの6本の柱と3対の彫刻がすばらしいです
1916年のイースター蜂起の際には、アイルランド義勇軍の司令部になり、イースター・マンディの日に、臨時大統領のパトリック・ピアースが正面玄関で「共和国宣言 」を読み上げました、しかし蜂起は鎮圧され、ピアースと15人の仲間は刑務所で処刑されました 
 
     
  郵便局の中は明るくて綺麗です   イースター蜂起を記念して、アスター州の伝説の英雄ク・ホリンの像があります   
     
  これ中央郵便局の建物の壁についている直結のポストです
前年のメキシコ旅行で、私は8通、友人は10数通、ホテル前のポストに、日本行きの絵ハガキを投かんしたのですが、日本に到着せず。懲りたので、今回は郵便局、それも大きな郵便局がいいので、首都の中央郵便局まで持参です
  こちら、アイルランドの緑色のポストです、町にある時はひとつですが、ここは中央郵便局前なので、たくさんあります 
しかしこのポストには投函しませんでした

 




   食事・その他      
   
 
  郵便局の近くの大きくて高いポールのモニュメントがありました、ここでもまた急に雨が降り出し、郵便局に避難して、見学して待ちました   帰路に着くバス停を探しましたが、そのバス停が広くて無数にあり、ダブリンは大都会だと自覚しました、つまり新宿でバス停を探す感じです、その時に見た珍しい車   
   
 
 
  郵便局前の大きなモニュメントを引きで撮りました   私たちが乗った40番の2階建てバス   
 

  現地ガイドさんに地図上のバス停に印をつけてもらったところが一点で、アバウトにこの辺りと書いてあれば良かったのですが、信じてその場所を探さなくては、と思ってしまったのが失敗でした、同じ行先を見つけ40番の2階建てバスに乗りました
高速バスで20分と言うのに、20分たっても街中をウロウロし、通勤客を集めて走り、ようやく”各停”に乗ったのがわかりました
乗客の方に、私達たち異国の者は珍しいがられ、ジロジロとみられました、友人が大きくホテル名を書いた紙を持っていたので、通る方が、それを見て、「その駅はラストだ」と教えてくれました、その人が下り、また親切な夫人が、そこは「まだまだだから」と教えてくれましたが、分かりにくい英語でした
ようやく市内を離れ、緑の郊外に来ましたが、まだホテル周りの景色とは違います
その女性の方が、指で、「5つ目だから」と教えてくれたのですが、それから、3つ程してその方が降りる時に、「ネクスト」と言う言葉が聞こえ、3人で、「たしかにそう言ったよね」と確認し合い、前のバス出口に急遽行きました

すると、運転手がまだだと言うので、戻ろうと振り返ると、後ろの席の十人位の人たちが、同じポーズで両手を広げて大地を押すようなポーズで、一斉に「NO〜〜〜」と言っている姿にびっくりしました。
皆さん繋がりがなく個人なのに、まったく同じアクションで、腰を浮かせ、私たちのことを気に掛けてくれていたようで、忘れられない感動の光景でした。(笑)

バスの中全体が、まるで、初めてのお使い状態のこの異国の子(?)たちが目的地にちゃんと付けるのかしら?という感じの一体感で、私たちを見守っていてくれたようです
大きな男性が来て、「私が降りる次の駅だ」と、教えてくれました、ようやくバスの人たちもほっとした空気が生まれ、私たちは笑顔で会釈してバスを降りました

 
 
 
 
  バスを下りても,バス停の周りが下見した高速バス停の景色と違います、またしてもポカーン状態です    すると、またしても先程の大柄な男性が現れて、道路の渡り方を教えてくれました、偶然なのか、追いついたのかどうかはわかりませんが救世主です  
 
 
 
 
  ようやく見慣れた景色に出会い、ホテルの表示を見つけることが出来ました、歩き始めて5時間以上が経ち、足は棒です    夕飯は個人でということで、私たちはバーガーを買ってきて、部屋で頂きました、このギネスビールも一杯!
とはいきません、婿さんへのお土産です(笑)
 

 



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