ノートの花絨毯 紀元前5世紀からの古い歴史を持つ昔のノートの町は、現在の町より約12キロ内陸に入ったアルヴェリア山(標高409m)にありました。しかし、1693年1月9日シチリア南東部を襲った大地震で町が崩壊したため、ノートの人々は考えた末、同じ場所に町を再建するのでなく、崩壊した町を見捨てて、地盤のしっかりした海に近い現在の場所に町を移しました。 18世紀に、当時流行のバロック様式で統一して築かれた新しいノートの町は、メインストリートのヴィットリオ・エマヌエーレ通りを中心に構成されています。次々に現れる明るい黄金色の石造りの壮麗なバロック様式の教会、宮殿、修道院は、ノートが石の庭園と呼ばれる理由を納得させてくれます ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々”として2002年世界文化遺産となります ノートは毎年5月の第3週の金〜日に花祭りが有名です。ニコラーチ通りが花のカーペットになります。 |
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レアーレ門、市民公園から町の大通りヴィットリオ・エマヌエーレ通りに、ブルボン家のフェルデナンドを讃えて造られた門 ここがフリータイムの集合場所となりました |
通りを歩くと、大聖堂前では、階段の上に多くの人が座り、その前の通りで、劇が行われます 横切ることが出来ず、大聖堂の横を上のカヴォール通りへ行きました |
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カヴォール通りには出店があったり、ここも観光客で賑わっています |
通りの両側には、バロック様式の建物が続きます この道を進行方向から、鼓笛隊が通過するようで、凄い混雑で、中々前に進むことが出来ません |
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「インフオラータ」とは「花を敷き詰める」という意味です 花が敷き詰められている通りはニコラチ通りの↑に出ました、花びらが敷き詰められていて、本当に花の絨毯です 美しい色どりで、これは一番上の作品で、来年の2018年は中国風デザインで行うということのようです |
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添乗員さんの予定では、この上から下へ、花の作品を横に見ながら、下る予定でしたが、今年は下から上に上がる一方通行のみで、下りは禁止されてしまいました。 添乗員さんは昨年はそうやって見たそうですが、今年は変更されてしまいました。 また別の下りの道を探して、入り口まで行かなくてはいけません、刻々と自由時間が経ちます なんとか下のメイン通りに行くことが出来ましたが、花の絨毯を見る列は長く並び、自由時間内に見ることは出来ません このニコラチ通りの正面に、サンカルロ教会があり、その屋上で見ることにしました 教会もしっかりしていて、屋上へ登るのに、2ユーロ取ります。(笑) 添乗員さんが、自分の失敗なので、私が料金を払いますと太っ腹で、出していただきました。 |
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下の入り口から、3枚写真を繋いでみました、凄い人なのが分かります 中国娘の作品まで繋がりませんでしたが、雰囲気とどんな作品があるかが分かりました。 横を見ると、レアーレ門や、大聖堂が見えました、この脇を私たちは上がったり、下ったりジグザグに進みました 屋上から町の見学が出来ました、3時40分ごろに着き、1時間程のフリータイムです |
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バロック様式の聖堂で、1996年の地震で壊滅的に破壊されたが、2007年に修復を終え公開されました その道路向かいが、市庁舎広場になり、ここで劇が催されているようです 今日は日曜日の最終日で、夜には花火もあるということで、凄い混雑でした |
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大聖堂を大回りし、もう少しでレアーレ門と言うところで,時代パレードに遭遇し、通路は観客で一杯で進めません |
狭い歩道は3列ぐらいになって見学の観客が座っているので、通れず、どうしても舗道を歩くことになります |
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子供たちもパレードに参加しています、可愛いですね |
舗道に降りると、ほら馬が驚いて、止まってしまうと、注意を受けます、四苦八苦でレアーレ門へ戻りました |
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食事・その他 |
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昼食 |
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ジュース |
ポモド一口パスタ(一口ではありません、一人前ぐらいです) | |||
チキンカッシアトレとベイクドポテト |
クレームカラメル | |||
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ピスタチオリゾット
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白身魚のフィレ野菜添え |
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オレンジのレモンがけ |
シラクーサのホテルの部屋
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