三日目 シラクーサ―ノート 



 
ギリシャ時代にアテネと同じぐらい繁栄したと言われるシラクーサは、かの有名な天才数学者アルキメデスを生んだ町であり、太宰治の小説「走れメロス」の舞台となった町でもあります。古代ローマ時代に征服された後も、9世紀のアラブ時代になり、パレルモが首府になるまでは、シラクーサがシチリアで最も重要な町でした。
 
      
   
     
 
 朝8時に出発で、エトナ火山と海岸線に見送られながら、タオミナールを出て、シラクーサへ向かいます

   道中の道端には夏の花が咲き乱れています、夾竹桃も咲いていました、シラクーサには10時ごろには着きました  
   ギリシャ遺跡


     
     
   ピエロン2世の祭壇、長さ180m、幅22m、生贄として雄牛450頭を丸焼きにしたとか

ギリシャ劇場、紀元前5世紀頃建立、海が見えます
現在は見られるのはローマ風に改造されたものです
5〜6月は色んな催し物があり設営されています
 
     
 

 ニンフェイオン(水の精のニンフの御殿と水飲み場)の跡には今も水が流れていますが、水を引き上げて流しているそうです
 
天国の石切り場と言う名称で奴隷により、良い石が切り出されていました、ただ奴隷にとっては地獄でしょう
 
     
   
「ディオニシオスの耳」
と呼ばれる穴
猜疑心の強いデイオニシオスが奴隷の話を穴の上から盗み聞きしていたという話が残っています
画家のカラウティジョが名をつけたという話もあります

  [ローマ闘技場」は最大で2万人収容出来、直径140m  
     
   
本土の海側に置かれた大きな錨がありました
   
海を渡り、オールティージャ島に入ります、本土との距離はこれぐらいで橋で渡ります
 
   
アレトゥーザの泉


     
   
シラクーサの町は、オルティージャ島と本土に分かれていて、観光名所も両方にあります
これから、オルティージャ島の観光巡りに行きます。この島は車両進入禁止のため徒歩での観光となります
わずが1Km四方の小さい島ですが、島の内部は入り組んだ路地が多く迷路のようになっているそうです
 
 

 
 
アルティミスに使えていたニンフアレトゥーザがお願いして、泉に変えてもらったという伝説があります
真水が出ていて、泉の中央にはパピルスが茂っています
 
         
 
聖ルチアナ教会シラクーサの守護聖人、聖女ルチアに捧げられた教会です。教会は15世紀に着工され、完成したのは18世紀で、バロック様式の美しい外観です
  教会前の広場、その横には大聖堂があります  
   

  


シラクーサのシンボルのドゥオーモ(大聖堂)
紀元前5世紀にアテナ神殿として建てられたものをそのまま利用している珍しい教会(7世紀)です

 
     
   
天井のフレスコ画、ガジーニ一族による彫像などが厳かな空間を作っています
  古代ギリシャ時代の柱は、聖堂の左側の壁に塗り込められているようになっています、ドーリア式の柱です。  
   
   
この島特有の細い迷路のような路地を通る
 
 「アポロン神殿」はB.C6世紀シチリアで一番古いドーリス式の神殿で、柱は一枚岩です
 
         


   
ノートの花絨毯

  紀元前5世紀からの古い歴史を持つ昔のノートの町は、現在の町より約12キロ内陸に入ったアルヴェリア山(標高409m)にありました。しかし、1693年1月9日シチリア南東部を襲った大地震で町が崩壊したため、ノートの人々は考えた末、同じ場所に町を再建するのでなく、崩壊した町を見捨てて、地盤のしっかりした海に近い現在の場所に町を移しました。
18世紀に、当時流行のバロック様式で統一して築かれた新しいノートの町は、メインストリートのヴィットリオ・エマヌエーレ通りを中心に構成されています。次々に現れる明るい黄金色の石造りの壮麗なバロック様式の教会、宮殿、修道院は、ノートが石の庭園と呼ばれる理由を納得させてくれます
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々”として2002年世界文化遺産となります
ノートは毎年5月の第3週の金〜日に花祭りが有名です。ニコラーチ通りが花のカーペットになります。

   
   
   
   
     
レアーレ門、市民公園から町の大通りヴィットリオ・エマヌエーレ通りに、ブルボン家のフェルデナンドを讃えて造られた門
ここがフリータイムの集合場所となりました
   
通りを歩くと、大聖堂前では、階段の上に多くの人が座り、その前の通りで、劇が行われます
横切ることが出来ず、大聖堂の横を上のカヴォール通りへ行きました
   
     
   
   
   

カヴォール通りには出店があったり、ここも観光客で賑わっています
 
 

通りの両側には、バロック様式の建物が続きます
この道を進行方向から、鼓笛隊が通過するようで、凄い混雑で、中々前に進むことが出来ません
 
   
      
   
    「インフオラータ」とは「花を敷き詰める」という意味です
花が敷き詰められている通りはニコラチ通りの↑に出ました、花びらが敷き詰められていて、本当に花の絨毯です
美しい色どりで、これは一番上の作品で、来年の2018年は中国風デザインで行うということのようです  
   
         
   
添乗員さんの予定では、この上から下へ、花の作品を横に見ながら、下る予定でしたが、今年は下から上に上がる一方通行のみで、下りは禁止されてしまいました。
添乗員さんは昨年はそうやって見たそうですが、今年は変更されてしまいました。
また別の下りの道を探して、入り口まで行かなくてはいけません、刻々と自由時間が経ちます

なんとか下のメイン通りに行くことが出来ましたが、花の絨毯を見る列は長く並び、自由時間内に見ることは出来ません
このニコラチ通りの正面に、サンカルロ教会があり、その屋上で見ることにしました
教会もしっかりしていて、屋上へ登るのに、2ユーロ取ります。(笑)
添乗員さんが、自分の失敗なので、私が料金を払いますと太っ腹で、出していただきました。

 
   
         
         
         
   
下の入り口から、3枚写真を繋いでみました、凄い人なのが分かります
中国娘の作品まで繋がりませんでしたが、雰囲気とどんな作品があるかが分かりました。

横を見ると、レアーレ門や、大聖堂が見えました、この脇を私たちは上がったり、下ったりジグザグに進みました
屋上から町の見学が出来ました、3時40分ごろに着き、1時間程のフリータイムです
   
     

バロック様式の聖堂で、1996年の地震で壊滅的に破壊されたが、2007年に修復を終え公開されました
その道路向かいが、市庁舎広場になり、ここで劇が催されているようです
今日は日曜日の最終日で、夜には花火もあるということで、凄い混雑でした
   
   
   
   
   
 大聖堂を大回りし、もう少しでレアーレ門と言うところで,時代パレードに遭遇し、通路は観客で一杯で進めません
 

狭い歩道は3列ぐらいになって見学の観客が座っているので、通れず、どうしても舗道を歩くことになります
   
         
     
   
   
     
子供たちもパレードに参加しています、可愛いですね
   
舗道に降りると、ほら馬が驚いて、止まってしまうと、注意を受けます、四苦八苦でレアーレ門へ戻りました
   
     
 
   
         
           



 
食事・その他

 
 
     
   
昼食

   
 
 
 
 
  ジュース
  ポモド一口パスタ(一口ではありません、一人前ぐらいです)  

 
 
   
チキンカッシアトレとベイクドポテト
   クレームカラメル  
 

 夕食
 
 
 
 
 
   
ピスタチオリゾット
   
白身魚のフィレ野菜添え
 
 
 
 
    オレンジのレモンがけ
 
シラクーサのホテルの部屋
 
       
         
 












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