2日目(前半) 世界遺産メキシコシティ歴史地区観光@
    

メトロポリタンカテドラルとエル・サグラリオ教会

メキシコ・シティはアステカ帝国とスペイン植民地時代の旧跡、そして中南米諸国の中心地として現代文化が錯綜した人口885万人の大都市です。
コロンブスが発見した新大陸は、発見前から独自の高い文明を持つ民族が住んでいました
そして、メキシコ・シティは先住民のアステカの時代には湖上に浮かぶ大きな都市でした、スペインが植民地にすると、テスココと呼ばれていた湖を埋め立ててしまったので、現在のような盆地になりました(1521年)
「夢幻の世界とはこれか、と我々は口々に言った。高い塔、神殿、建物などが水中にそそり建ち、兵士の中には夢を見ているのではないか、と我が目を疑うものがあった」
アステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテス指揮下のスペイン軍記録係はテノチティトランと呼ばれていた現在のメキシコ・シティを初めて見た時の驚きをそう書き記している
現在のメキシコ・シテイは、アステカ帝国の中心地にあった神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立て完成し、未発掘の巨大な遺跡の上に、今の首都があると言えます

傾いたように見えるのは、実際エル・サグラリオ教会の方が地盤沈下で、相当に傾いているからです
 
 
 
 
  21℃8時半出発、まず最初に立ち寄ったのがこのモニュメントです
湖上の島に、サボテンの上で鷲が蛇をくわえている光景を目撃し、部族の伝説に従ってこの地に定住することになり、湖上都市テノチティトランを建設し王国の首府とする
その建国伝説が国旗にも描かれています
  昨日屋上の見学をしたメトロポリタン・カテドラルです
メキシコにある全てのカトリック教会の総本山で、破壊された神殿の石材で創建されたメキシカン・バロック様式の大聖堂です
1573年に着工し、完成までに240年が掛かりました
建物の奥行きは110メートル、幅55メートル、高さは29メートルである、昨日登った鐘つき塔から出た屋根が見えます
 
 
 
 
  アーチ型の天井が美しいです
聖歌隊席の中には旧カテドラルの大司教の席があります
  祭壇はチュリゲーラ様式と言うもので、エスティピテ(縦長逆台形の飾り柱)を用いる装飾様式となっています  
 
 
 
  アステカ時代の貴重な神殿跡、テンプル・マヨール
アステカ王国の首都テノチティトランの中央神殿があった場所、カテドラルの裏側から地下で繋がっていることがわかる
  テンプル・マヨールは2008年1月に7層目が発見され、敷地には石像群が並び、それを展示する博物館もあります、
上の写真がそばにある博物館です
 
 
 
 
  国立宮殿
アステカ時代にモクテスマ 2世が居城としていた場所に立ち、アステカを征服したコルテスが破壊し、そこに植民地の本拠地として宮殿を建てました 、そして1810年イダルゴ神父の「ドロレースの叫び」により、スペインとの独立の戦いが始まり、1821年独立を果たします
  現在は大統領の国務室、大蔵省、メキシコ近代化の父と仰がれるベニートフアレスの記念室などがある
正面の鐘は「自由の鐘」と呼ばれ、独立記念日の9月15日前後に、大統領はこのバルコニーに出て、鐘を鳴らし、「メキシコ万歳、独立万歳」と広場に集まった民衆と共に、唱和します
 
 
 
 
  独立記念塔、独立100周年の記念塔として1910年に当時のディアス大統領によって建てられました
一番上には天使エンジェル(スペイン語でアンヘル)が飾られています、塔の台石は四方形で、各々の隅に「法」、「正義」、「戦争」、「平和」を表す彫像及びメキシコ独立戦争の英雄である神父イダルゴの像が一番上にあり、塔の中に亡骸が収めてあるそうです
側面に芝生が植えてある分だけ地盤沈下し上げたそうです
  コロンブスの像も、独立記念塔と同じ通りにあり、メキシコ市のほぼ東西を走るこのレフォルマ通りは、19世紀中頃にフランスがメキシコに武力介入した際、ナポレオン3世の命を受けてメキシコに派遣されたマクシミリアン皇帝がパリのシャンゼリゼ通りに似せて作らせたと言われる
近年の著しい経済発展を象徴する感があり、まさにメキシコ経済の中心地であり、メキシコの歴史上に残る偉大な人物の銅像や記念碑がそびえ立っています
 
 
 
 
  ペジャス・アルデス宮殿は1934年に完成。使用された大理石はすべてイタリアから輸入されたものである。白亜の殿堂にはコンサートや民族舞踊のための壮麗な劇場があり、またメキシコの代表的壁画家達の作品が一堂に集められている。地盤が軟弱なため建設当時より現在2メートルほど沈下している    三文化広場はメキシコの歴史を象徴する文化遺産で、先スペイン期の遺跡の上に植民地時代のサンティアゴ教会が建ち、そのまわりを高層団地や外務省ビルが取り囲んでいるため「三文化」と名付けられた。
アステカ時代には「トラテロルコ」と呼ばれる巨大な市場があり、コルテスに打ち破られました 
 
 
 グアダルーベ寺院
   
 

グアタルーペ寺院
 
  聖母グアタルーペを祀る寺院で、国内最大の聖地のひとつとして熱心な信者たちが巡礼に訪れます
地盤沈下で旧聖堂(写真右1709年建設)は前に傾き、建物が前と後ろに分かれ、現在は使用されていません
その隣に、新聖堂(正面1976年建設)が建てられました

1531年12月9日の早朝、メキシコシティ北部に住むキリスト教に改宗したばかりの先住民の男ファン・ディエゴの目の前に聖母マリアが現れ、お願いした。ファン・・ディエゴは丘の上に聖母マリアのための礼拝堂を建てることをメキシコ司教に伝えたが、司教は聖母マリアの出現を信じませんでした。
聖母マリアは再び現れ、同じことを頼みましたが、やはり司教は信じませんでした。3度現れた聖母マリアは季節柄咲いているはずのないバラの花を摘んでファン・ディエゴのマントに包み、司教に届けるように言いつけます。ファン・ディエゴが司教の前でマントを開くと花がこぼれ落ちた後に、マントに聖母像がら現れていたそうです
これが「グアタルーペの聖母」という奇跡です、その奇跡の場所に礼拝堂が出来たのは1556年のことです
ローマ・カトリック教会公認の三大奇跡(聖母の出現)
@グアタペール(メキシコ)…1531年12月9日
Aルルド(フランス)…1858年2月11日
Bファーティマ(ポルトガル)…1917年5月13日 
 
 

 
  旧聖堂は前に傾き、前と後ろが分かれ、今は使用されていません、この広い広場を新聖堂まで、膝行と言い、願いを叶えるために、膝で前に進んでいる人を数人、見かけました   現代的機能美を持った新聖堂は約2万人の収容ができ、メキシコ・カトリックの象徴的首座で、ローマ法王もミサに来ている、正面の壁に聖母マリア像があります  
         
   その褐色の聖母マリア像の下の動く歩道があり、間近に見ることができます   寺院裏側のテペヤックの丘に、マントを広げた時に聖母マリア像が現れたというころの像がありました   
         
  この丘の上には沢山の寺院や建物があり、お参りして回るそうです 、建物が傾いています
  それがいずれも地盤沈下により、傾いていました、元は湖を埋め立てたからとか、地下水の汲み上げもあるそうで
 
  世界遺産テオティワカン遺跡観光 
 

テオティワカン「月のピラミッド」
 
    メキシコ市の北東約50キロ(車で約1時間)のところに、メキシコを代表する古代遺跡の一つであるテオティワカンの遺跡(12平方km)があります、この地域には、紀元前5世紀頃から集落ができ始め、紀元前150年頃より紀元8世紀にかけてテオティワカン族の文化が栄え、最盛期の5世紀頃には、推定約100,000人が住んでいたと言われています

 この遺跡には南北に走る「死者の道」(全長3km)と呼ばれる大通りがあり、この大通りの周辺にピラミッド、神殿及び住居跡が点在しています
 その中で主要かつ最大の建築物は、「太陽のピラミッド」(高さ65m、基底の一辺220m、容積100万立方m)であり、紀元1世紀頃の建造とされる、最上部からの声が下によく届き、神官が祭司を行っていたと考えられています。また、「死者の道」の北端には「月のピラミッド」(高さ42m)があり、紀元前1世紀から紀元前後の築造と考えられている。これらのピラミッドは、エジプトのものと異なり太陽や月を拝む拝殿であると言われていましたが、最近、日本人考古学者の調査により、高位の人物の墳墓が内部に発見されています
 更に「死者の道」の南端には、一辺400mの城塞があり、その奥の正面にトルテカ族や、その後に現れたアステカ族の一守護神ともなったケツァルコアトル(羽毛のある蛇)を祭った怪奇な蛇の彫刻のある神殿があります、この他にジャガーの神殿、羽根のついたカタツムリの宮殿、神話動物の神殿、蝶の宮殿、ジャガーの宮殿などの遺跡があります

 テオティワカン文化は8世紀には衰退し、都市は放棄された。15世紀にアステカ族がこの地に進出した頃には廃墟となっていたが、アステカ族は、その壮大さ故に「人間が神に変わる場所」との意味で、テオティワカンと名付けたとされています。
 
 
ジャガーの宮殿 
     
         
  かつてはこれに屋根がついていたということでしょう 、壁や、部屋の仕切りだけが残っていたのを復元しています   出土した石を漆喰でつなぎ、さらにその上に漆喰で塗り重ねられていた様で、漆喰の間に小石が入れてあるのは復元した証です   
 


ホラ貝を吹くジャガーの壁画 

1800年前のものと推定されるジャガーの壁画が残る建造物跡、ジャガーの頭には羽毛飾り、背中から尾にかけては巻貝が付き、ケツアル鳥の羽毛で飾られたホラ貝を吹いている
 
         
   案内板の画ですが、まったく実物に似ています    こういう画が壁一面に描かれていました  
         
   柱に模様があります   基盤の側面に描かれた緑色の鳥の画です   
 
 月のピラミッド
     
 


月のピラミッド

ジャガーの神殿から出ると目の前に「月のピラミッド」がそびえ立ち、その光景に目を見張りました
時空を超えて、その時代に飛んだ感じがします
 
         
         
  今から「月のピラミッド」に登ります、手前に来ると最初の階段しか見えません、一段一段が不揃いで高いです     登った第一段より、正面南の方「死者の道」を見ます
手前左側の大きなピラッミッドは「太陽のピラミッド」です
また下は月の広場といい、広く作られています
 
         
  第一段の上は広くなっていて、ここで宗教儀礼を行ったのが理解できます。まだ屋上までありますが、通行止めの柵があり、登ことは出来ません、漆喰に小石が入っているのは復元されたからです    月のピラミッドの下に、月の広場があり、かなり広いです
 死者の道の南方向に向って歩いて、しばらくして振り返えると、「月のピラミッドの後ろの山が大きく見えました、さらに進むと、背後にもっと大きな山が見えるようになります
 
         
   太陽のピラミッド
     
   

太陽のピラミッド
    
 
  高さ65m、底辺の1辺が22,5mの、テオティワカン最大の建築物です
世界で3番目に大きさを誇るピラミッドは宗教儀礼のために建造されたもので、平坦な頂上には以前神殿が建っていた
巨大なピラミッドの内部にはもう一つピラミッドが眠っている、つまり古い神殿を覆うように今の神殿が作られている
248段の急な階段を上ると、素晴らしい眺めが待っています 
 
         
  登り始めると急な階段です 、西の方角で、下は太陽の広場です。頂上に近づくにつれ風がビュービューと耳の側で鳴っています   頂上付近から見た北方向「月のピラミッド」は小さく見え、後ろの山がとても大きいです 、途中の神殿跡も良くわかります  
         
   こちらは南側で、ケツアルパパロトルの宮殿があり、月のピラミッドで祭儀に携わる神官の住居で、鳥をモチーフにした浮彫が残っているという、見学はなしでした   ここが一番高いところで、神殿があったところです
石と漆喰で、積み上げその上を漆喰で覆い,、それに色付けした建造物であったそうです 
 
         
  太陽のピラッミッドは後1世紀に創建され、4層のピラッミッドだったそうです、下から見上げた階段も急です    太陽のっピラミッドの真下には長さ120メートル以上の人工的に造った洞窟があり、王墓であった可能性が指摘されています 、サボテンとピラミッドのメキシコらしい風景です  
 
 ランチ
     
 
 
   
 
  ビッフェスタイル で、サボテンのサラダもありました   フルーツが美味しいので沢山いただきました   
   
     
  グラン・テオカリ では、アステカの踊りも見ました      
         


 






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