4日目 ラベンタ遺跡と世界遺産パレンケ遺跡D
 

現在メキシコの世界遺産は31もあり、上の地図のように全国に散らばっています
今回私たちが来てから、すでに4か所の世界遺産を巡りました、世界遺産の名前のところに番号をつけています
今回9か所の世界遺産を回るので、ピンク色で囲んでみました、
これまではメキシコシティか、シティからバスで1時間半から2時間の距離で行ける場所でしたが、本日は飛行機で南のグアテマラの方向へ移動します

 
 
     
  朝の4時半起きで、6時半の飛行機に乗ります、ほぼ3時には起きて支度をします、荷物だしがあるからです
ホテルで朝食のお弁当を作ってくれました、これまでホテルのお弁当と言えばサンドウイッチでしたから、驚きました
柔らかく炊けたお米で感心しました、早朝、夜中から大変だったことでしょう 、空港の待合室で頂きました
  飛行機で飛びあがった雲間から覗く朝日です
こんな景色は見たことがありません、もちろんこういう時間帯に外にいないし、移動もしていないからです
 
     
  まるで双子山のようですが、5000m級の山がありますから、
伝説のポポカトペトルとイスタクシアウトル(ロミオとジュリエット版)の山かも知れません
   しかも山の頂には雪がありあます
常夏の国、メキシコに雪があり、こういう自然に感動します
1時間半でタバスコ州の州都ビジュエルモサに到着です
 
   ラベンタ遺跡公園
     
 
 
 
   オルメカ(Olmeca)とは、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化、文明である
アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる
オルメカの影響は中央アメリカの中部から南部に広がっていたが、支配下にあったのは中心地であるメキシコ湾岸地域に限られた、その領域はベラクルス州南部からタバスコ州北部にかけての低地で、雨の多い熱帯気候のため、たびたび洪水が起こった。しかし、河川によって肥沃な土地が形成され、神殿を中心とした都市が築かれた
 
オルメカの文化は、出土するさまざまな石像に現れている、人間とジャガーを融合させた神像は、彼らにジャガーを信仰する風習があったことを物語っている
 
         
  ジャガー伝説が残るこの地で、本物のジャガーにご対面です、動物も少し飼われています   1925年発掘され、1958年にラ・ベンタ遺跡公園が開設されました   
         
  石でできたお墓だそうです     子供を抱く神官のレリーフ  
         
   勝利者のレリーフ付き祭壇   2,4mもある巨大な人頭   
         
  腕を組み空を見上げる猿 若い女神のレリーフ  
   世界遺産パレンケ遺跡D
  
 

 
   ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構としての宮殿を中心とする、「マヤ遺跡の典型」といわれる建物群を密林のなかに配置しています
この地域は紀元前から人が住みついたとされているが、7世紀に統治したパカル王とその息子のチャン・バールム王の時代に急速に成長し、最盛期を迎えました
9世紀から都市は放棄され、10世紀末にはトルテカ人と思われる異民族に侵入したときは、すでに廃墟状態で、そのままジャングル覆うわれてしまいました
 
         
  ジャングルを進むと、突然遺跡が現れます、
それは1746年にテ・ソリス神父がここを訪れ、パレンケは世界にその名を知られる遺跡となりました、当時は建造物には屋根があり、壁には漆喰彫刻がされ赤や青色に彩色されていました
  そのジャングルの中の遺跡は、スペイン人の調査団の略奪や失火により、多くの装飾壁やマヤ文字の石板を失いました、パレンケの建物は500以上ありますが、発掘、修復されたものはその一部です
入ってすぐに見えるのは、頭蓋骨の神殿と呼ばれます
 
    碑文の神殿
     
 

 
 
  パレンケ最盛期の675年に、パカル王によって着工され、王の死後692年に息子のチャン・バールム王によって完成した、高さ23mの神殿、最上部には600以上の碑文が刻まれた石板があったことからこの名が付きました
その碑文には2世紀に渡るパレンケ王家の歴史が刻まれ、マヤ文明の貴重な資料になっています
神殿の正面には69段の急な階段があり、最上部は5つの部屋に分かれています、中央の部屋に碑文に刻まれた石板があり、各門柱にはパカル王のレリーフなども刻まれています、埋葬品などは国立人類学博物館にマヤ室に展示されています 
 
         
  神殿の右側に屋根を取り付けた入り口があります、それは
 1952年6月15日、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが「碑文の神殿」の地下室に辿り着き、室内の壁面にはめ込まれていた巨大な石板を取り外したところ、鍾乳石の垂れ下がる広い洞窟のような部屋がその向こう側に確認されました
昨日博物館で見てきた墓の模型がここで発掘されたものでした
  そこには殉死者と目される数体の遺体に加え、肖像画やマヤ文字、また生命樹の図柄の浮彫が施された石の蓋、そしてその下に石棺が埋もれており、数多の装飾品を脇にした遺体が内部に発見された 、それが翡翠の仮面をかぶったパカル王でした(当時はばらばら)
墓はないという定説を覆すもので、当時の考古学界に大きな旋風を巻き起こすことになります
 
   十字グループの神殿 
     
         
  川を渡った小高い丘の上に十字グループと言われ、一番大きな十字架の神殿で、太陽の神殿、葉の十字架の神殿とともに、息子チャン・バールム王の時代に建てられました、内部パネルの中心に十字架が見えることからこの名が付いた    十字架の神殿の右側に位置し、葉の十字架の神殿という小さい神殿です、太陽の神殿と真向かいにあります、この二つはエコールームになっていて、音や声が反響します
疑似アーチと上部にトウモロコシの葉と人間の首を表す窓があります 
 
         
  十字架の神殿に昇り、そこから(左下)見下ろした太陽の神殿の写真です
神殿内部の壁面に 、太陽のシンボルとされた盾と槍からなる戦いの神が彫刻されていたことからその名が付きました
  十字架の神殿の上から、右側に宮殿と4階建ての塔(天体観測所)が見えます、
また、左側に木々で見えませんが、碑文の神殿、骸骨の神殿んが並ぶという位置関係にあります 
 
         
   この丘の上には、沢山の出店があり、土産物が売られていました、いろんな色の石の装飾品です   こちら、門柱の彫り物や装飾品です   
   天体観測所と宮殿
 
     
 
 
 
  パレンケ遺跡の中心部にあり、もっとも立派な建造物なので王様は住む所として、宮殿と名付けられました
最初の部分は7世紀に建てられ、120年ほどかけて増築され4つの中庭の建物がアーチや地下通路でつながる複雑なった形となります、深さ3mの水路が引かれ建物の地下に、建築当時水洗トイレやスチームバスもありました
宮殿の最大の特徴はマヤ建築でも他に例がないとされる、4階建ての塔です、塔の壁面は東西南北を指していることから、天体観測に利用されたと推定され、「天体観測所」と呼ばれています
塔の踊り場には金星を表す絵文字があり、最上階には星の観測に使ったと思われるテーブルもあります
冬至に、太陽は碑文の神殿に沈むそうです

突然密林の中に現れたパレンケの遺跡は、まだ観光客も少なく、見れば見るほど面白く益々興味の引かれる遺跡です 
 
         
   これは何だったかしら、水路?地下通路?   部屋と通路   
         
  中庭の一つに、神聖文字の階段、捕虜をレリーフにした石板もありました     目玉の丸いテオティワカンではトラロック、マヤではチャックと言われる雨の神様が彫られています(真ん中)  
       
 
   宮殿の階段を使って下りてきました、碑文の神殿の方から写しました、ちなみに手を広げているのは私です   宮殿の柱のレリーフで、左側がパカル王だそうです  
         
  絵やマヤ文字が描かれています    一番入り口にあった頭蓋骨の神殿の上から宮殿を写しました、角度によって宮殿、天体観測所の見え方が違います  
    頭蓋骨の神殿
     
         
  入り口に最も近い頭蓋骨の神殿で、疑似アーチの入り口があり、その根元にウサギの頭蓋骨があることから、この名が付きまし た   その柱の根元にある、これがウサギの頭蓋骨です、発見時にこの神殿は 赤と青に彩色されていたそうです  
   食事 その他

     
         
 
 
   
 
  パレンケ遺跡の前に立ち寄ったレストランで食事・スープ   チキン料理を選びました   
  夕食・ホテル       
 
 
   
 
  ビーフの串焼き、ホテルにて    デザート   
       リゾートホテルのような趣の新しいホテルです 
プラザ・パレンケ泊
気温31度、常夏のメキシコって感じです
 
       


 






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