7日目 世界遺産・チチェンイツァ遺跡H
   
 
 
  チチェン・イツァとは、マヤ人の言葉で”泉のほとり”のイツァ人という意味で、ユカタン半島最大のセノーテ(聖なる泉)を中心にしてこの都市が繁栄したことからそう呼ばれたと推測されます
遺跡群はマヤ独自の特徴が顕著な6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イツァ」と、トルテカ文化と融合した10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イツァ」の二つのエリアに大別されます
7世紀には隆盛を誇ったチチェン・イツァですが、その主族は自らこの都から去り、歴史の舞台から完全にその姿を消します
10世紀になって、マヤ人は再びこの地に戻り、新たな都を築いていきました、こうして生まれたのが、マヤ・トルテカ文明と呼ばれるもので、新遺跡のモチーフにその影響がよく表れています
それまでの雨神チャックをひたすら祀り上げた素朴なモチーフに、好戦的な兵士の像や、生贄とされたドクロ、そしてトルテカの象徴であるククルカン(羽毛の蛇)が新たに描き加えられるようになっていきました、その後軍事国家に変貌し栄華を極めましたが。13世紀のはじめにマヤパン族によって滅亡させられてしまい、その長い歴史を閉じました
 
         
  メルダから120キロ高速を飛ばしてきました
街の公園のように整備されていて、これまでのジャングルの中の遺跡とは趣が違います 
 
整備されていると同時に観光客も多いからでしょうが、土産物店もこれまでと半端なく多い数が両脇にずらりと並んでいます、もうお祭り騒ぎです
 
   新チチェン・イツァ
   
 
 
 球戯場
   
 
 
 
  メソアメリカ最大の球戯場です、マヤ人の球戯は娯楽ではなく、豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式でした
ゲームは生ゴムのボールを壁の上部に取り付けてある輪にくぐらせて競われ、手は使わず、サポーターを装着した上腕や腰でボールを打ちます
勝ったチームのキャプテンが栄光を担い、生贄として 捧げられました 
 
         
  長さ168m、幅70mメソアメリカ最大の球戯場です   上に付いた石の輪がゴールですが、かなり高い位置です   
         
  ナイフを持って、生贄の首を取る絵が描かれています    その首から血が噴き出すところが描かれています   
         
  球場の四方には獰猛な顔つきのククルカン(蛇)が配され、中央高地を征したトルテカ人の影響を受けたとされます   蛇の身体は横に続いています、そして両壁が内側に反っているのは、音を逃がさないように設計されていて、球戯場内に声が響き渡るようになっています、反響が凄いです  
 
 骸骨の壁(ツォンパントリ)
     
     
 
  骸骨の壁」という名称通り、壁面にドクロや兵士が連なります 壁に彫られたドクロは敵を意味し、生贄にしていた証拠とされます  
         
   4つの階段に囲まれた台座は壁面のジャガーやワシのレリーフ、生贄の儀式を行つた場所ではないかといわれている   下の段右側はワシの画、左側はシャガーの画が彫られています  
 
  カスティージョ(城)
     
    
 
 
  カスティージョとは城のことで、一辺が56m高さが24mのピラミッドは9層の墓壇からなり、圧倒的な存在感を誇っています
マヤのピラミッドとしては珍しく4方向に階段があるのが特徴で、マヤの暦を意識した祭儀的な役割を担っていたと考えられています、この正面を向いている階段の下だけにククルカンの首がついています
 
       
 
  北東側の階段の下に獰猛な顔のククルカンがついています   春分と秋分の日に、北東の階段に羽のような影ができ、それがククルカンの首と繋がり、不思議な現象がおきます
、まるで、大蛇が現れたように見えます(絵葉書の写真)
 
 
 セノーテ
     
         
  石灰岩の陥没の穴に地下水がたまった、ユカタン半島独特の泉です、川や湖のない この地で、文化が発展したのはこのセノーテの水源のお蔭ということです   雨乞いのために生け贄を奉げたという伝説もありますが、実際に見つかった人骨は120体ほど、現在では特に神に捧げられたのは貴金属や天然石の装飾品などが主だったという説が主流になっているそうです   
 
 戦士の神殿
     
 
 
  千本柱の間と言われる多柱回廊の背後にそびえる、3層基壇の神殿、石柱には戦士や捕虜の姿が彫られ、これはトルテカ文明の建造物によく見られる様式です
階段の上にはチャックモールやククルカン像が鎮座し、中央高原との交流を決定づける建造物として重要視されています 
 
         
  階段上部からチチェン・イツァを見渡すように横臥するチャック・モール像 、腹部に生贄の心臓を置いたといわれる、
トルテカ文明の強い影響がうかがえます
 
 残念なことに、このチャックモール像のある階段上の見学は出来ず、神殿内部のもう一つの神殿内に鮮やかな色彩の壁画が残っているそうですが、その見学もできません
 
 
 旧チチェン・イツァー

 
   高僧の墳墓    カラコルム  
         
   カステージョと同じピラミッド型神殿で、崩壊していたのを近年修復しました、5つの偽装墓の下に本物の墓があり、貴重な埋葬品が発掘されています    カラコルとはカタツムリの意味で、 旧チチェン・イツァのエリアに立つが、中央のドームはトルテカ文明の影響を受けた後に建てられたものです  
 
  カラコル
     
 
 
  ドームは22mの高さがあり、9mの露台の上に13mの観測台が載っています、窓から太陽や月や星の位置を観察する天文台であったことがわかっています、これらの位置から、マヤの人々は農作物の収穫期などを正確に知ることが出来ました
南には真南(子午線)に向かう窓、西南には月没の最北線を見る窓、西には角度によって、春分、秋分の日没と月没の最北線を正確に観測できる窓が造られています
また、天文台の台座の正面は、真西から27,5度北に向いている、これは、金星がもっとも北に沈む方向です、こうしてマヤ人は月、太陽、星の運行を肉眼で観測することにより、驚くほど正確に暦をつくり上げていました
 
 
 尼僧院&教会
     
         
   7世紀に栄えたチチェン・イツァを代表する建造物で、壁面にはマヤの人々が信仰した雨神チャックが見られ、トルテカ文明の影響を受ける前の純粋なマヤンデザインです   尼僧院の隣にある教会にいは、アルマジロや、カメ、貝をモチーフにした彫刻が施されています   
   
   
 
   カラフルなメキシコカラーの布、紐状にすると、硬く丈夫になり、広げると装飾その他の使い道があります   雑貨類も様々で、土産物品や、陶器も多かったです   
     
 
  イキルにあるセノーテ
     
         
  ユカタン半島は石灰岩の地層のため、雨水は地下に川を作ります、その地下水脈の天井の一部が陥没して、井戸状になった泉がセノーテです、メキシコには1000を超えるセノーテがあると言われています 、
セノーテに降りる階段があり、途中その壁が抜けていてのぞき窓のように下を見ることが出来ます
  イキルはカンクンから車で30分の距離にあり、アクセスもよく、早くから設備も整えられたことから、人気の観光地になっているそうです、植物のツタが垂れ下がり、涼を求める人に人気です、お仲間も3人入りました
私たちは、階段を下まで降り、魚も泳ぐセノーテを見たり、下の写真のように、ぽっかり穴の開いた地上部分を見上げて写真を撮りました↓ 
 
 
 
 
       
 
 
  昼食を兼ねて、セノーテに入らないものは土産物店をぶらぶらして過ごしました、1時間はなかったと思うので、泳ぐ方は大忙しだったと思います    ランチ
ビュッフェ式スタイルでした 
 
 
 カンクンへ
     
   
地図の細いエリアにホテル群が連なります
     
  ユカタン半島の突端、カリブ海とラグーンに挟まれた20km  の細長い州がリゾートとして開発されたカンクンです
澄み切ったコバルトブルーのカリブ海に、純白のパウダーサンドが広がる常夏の景観は、古代遺跡も別世界なら、この景観もまた別世界へと誘ってくれます
 
         
   白浜に沿って、大型ホテルが連続で連なり、緑が豊かで、海岸はホテルに、道路は内海側を走っています    
 
 
 
  私たちの宿泊するホテル・フィェスタメリカーナコンデッサの部屋から、ホテルとプール、その前のプライベイトビーチを写しました 、もう言葉はいらない、見るだけで充分という別世界が広がります、ゆっくりするのなら連泊がいいでしょう  
         
  ホテルの部屋 、夕飯前1時間ほどバスに乗りショッピングに出かけました   ホテルのプール越しに見るカリブ海です
夕方の景色です 
 
 
  食事
     
   
   
 
   レストラン、エルメキシカーノで夕食です
前菜、トルテージャ(食べやすくなっています)
  最後の夕食なので、シャンパンで「サルー(乾杯)!」です
明日は本当に「去る〜〜」なので、(笑) 写真はスープです
 
 
 
   
 
  メインは肉、魚の盛り合わせ(あくまでもお上品に)     デザートのプリンです  
 

ホテルの夜景 (窓より)
 
         


 


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送