マラケシュのメディナ(旧市街地)世界遺産
|
||||
クトゥビアのミナレットとジャマ・エル・フナ広場(旧市街=メディナ)) マラケシュは、ベルベル語で「神の国」 (murt 'n akush)を意味する。北緯32度、西経8度、標高450mに位置する。気候はステッ
プ気候に属する。人口は66万人であり、カサブランカとラバトにつぐモロッコ第3の都市でもある。 アトラス山脈のうち最も険しい大アトラス山脈の北に位置する。南方45kmには北アフリカ最高峰のトゥブカル山 (4165m) がそび
える。町の東側にはイシル川が流れ、大西洋に注ぐテンシフト川につながる。郊外にはオアシスが点在する。 マラケシュは東西2km、南北3kmの城壁に囲まれた旧市街(メディナ)と、旧市街の西に広がる新市街からなる。新市街の西端
にマラケシュ駅が位置する。旧市街は北アフリカでも最大の規模であり、王宮のほか、バイア宮殿、エルバディ宮殿、サアド朝 の墳墓群、ベルアベ陵、アグダル庭園などを含む。マラケシュ駅はターミナル駅であり、北に向かってカサブランカ、東へ折れて ラバト、フェズへ延びる。町の北10kmの位置に国際空港が広がる |
||||
ベン ・ユーセフ・モスク
|
||||
午前中はフリータイムでした、私たちはモスクの見学のため
TAXIで、ジャマ・エル・フナ広場まで行き、そこから世界最大 と言うスーク(市場)の中を通り、モスクへ行きます 迷わないで行けるかどうか心配でしたが、添乗員さんが付い てきてくれると言うので安心しました |
1956年まで使用されていたイスラム神学校です、1565年に
サアード朝のスルタン、アブタラー・アル・ガリブによって建て られた マダレブ諸国のマドラサのなかでも最も大規模なもので、こ の時代の建築技術の粋を集めたアラブ・アンダルシア建築 の最高傑作と言われている |
|||
この建物大部分を占めるのは、学生たちの寄宿舎で、回廊
脇と2階には130もの小部屋が整然と並んでいる、それぞれ の大きさは約6畳、学生たちの質素な生活用具が展示され ています |
2階の部屋の窓から、見下ろした中庭です
壁の化粧漆喰が高い技術で造られています 一度に900人の学生を収容したそうです |
|||
ベン・ユーセフ・モスクの外観です 緑色の瓦で、ミナレットも緑色の装飾が施してあり、美しいです マラケシュのメディナは、このモスクを中心に都市が出来たそうです 現在のモスクは16〜19世紀に再建されたものです、入れるのはイスラム教徒のみです |
||||
こちら、マドラサから通路の向かい側にあるマラケシュ博物 館に移動します、チケットは2館の共通券を買いました |
こちらマラケシュ博物館の上にも緑色の瓦が乗っています 入り口に置かれた細かいモザイクタイルが精巧緻密です |
|||
マラケシュ博物館
|
||||
この建物は19世紀後半にダール・ムネブヒの宮殿として造られ、特に博物館中央にあるパテイオは、 モザイク模様と細かい手彫りの装飾が美しく優雅です 1956年のモロッコ独立後は、マラケシュで最初の女学校として使われいた 博物館となったのは1997年、その敷地は2000uにも及ぶ |
||||
細かいタイル細工が見事です | パテイオに面して部屋があります | |||
クッバ・バアディン
|
||||
マラケシュの旧市街地で唯一残る12世紀ムラービト朝のもので、この時代のイスラム建築様式の重要な一例です いくつものエレガントナアーチ、内側の大理石は花のモチーフの彫刻が施されている (もともとクッパとは、白いドーム状の建物を指し、聖人などの墓が置かれた) |
||||
スーク
|
||||
このマラケシュのスークは世界最大とも言われる、マラケシ
ュは沿岸の諸都市とサハラ砂漠との交易の中心地として発 展してきた |
このお店は香辛料のお店です
最初に訪れたフェズのメディアよりもはるかに通りは広く、規 模も大きいことに驚きました |
|||
曲がり角で、3方向、4方向と通路が広がり、元来た道が分
からなくなり、まるで迷路のようです 私たちは6人で来たのですが、添乗員さんが来てくれてよか ったです |
びっくりです、緑色のカメレオンが何匹もいました
売っているのでしょうか?買ってどうするのか気になります ペットでしょうか、まさか食用ではありませんよね |
|||
ジャマ・エル・フナ広場
|
||||
だんだん広場が見えてきました、フナ広場でしょう
品物を広げています |
籠がいっぱいです千円もしなくて、お買い得です、でもここか ら籠を持って帰るのも?と思いましたら、同じツアーの方が 自分のお土産、友人のお土産と2つも3つも買っていました |
|||
マラケシュの中心となるジャマ・エル・フナ広場では、各地の芸人たちがパフォーマンスを繰り広げ、 夜には広場いっぱいに屋台が建ち並び、はち切れそうなこの町のエネルギーは、 このカオスのような雑多さが生み出していると感じられる 右側奥に見えるのが、私たちが先ほど訪れた、ベン・ユーセフ・モスクのミナレットです |
||||
夜はこの広場にいっぱいの屋台が出ていました
|
昼近くなったので、これから準備に入る店が多いようです
背景の建物に、銀行や郵便局があります |
|||
こちらは、フナ広場の中央あたりです、まだまだこれから出店のようです、さらに左が、一番上の写真です マラケシュはフェズに次いで2番目に古い町です。1070年頃、ベルベル人による最初のイスラム国家、ムラービト朝(アルモ
ラビト朝)が、この地を都と定めた王朝が発展するとともに、キャラバン貿易をはじめ、商工業、文化が栄えた。その次の王朝、 ムワッヒド朝(アルモハッド朝)もここを都とし、マラケシュは交易の中心、商工業の中心、そして学問の中心ともなった マリーン朝になり、首都が1269年にフェズに移ると、一時期衰退したが、15世紀半ば、サアード朝(サーディン朝)が再びここ を首都に定めた、この時に建てられた美しい廟やマドラサあどが訪れる人の目を楽しませてくれる。 長い間、政治、文化の舞台であり続けたマラケシュは、現在も人々を引き寄せる底知れぬパワーをもっている |
||||
また、マラケシュの名前の由来として 、ベルベル語で「神の国」 (murt 'n akush)を意味する、と載っていたのはWikipedia
ですが、添乗員さんの話を載せておきます。
Marrakechとは、ヨーロッパ人が「マラケシュ」を「モロッコ」と発音したのがモロッコの国名の由来との説がある、 ・先住民のベルベル人の言葉で「Marroukech」マルケージュと発音され、「早く行け」「早く歩け」という意味、その昔マラケシュ は、この街を通過する隊商(キャラバン)を襲い強盗する盗賊が沢山住んでいたいたという。そのため高アトラスを越えてやっ てくるキャラバン(隊商)の間で、この場所は早く通り過ぎた方が良い所と言われるようになり「マラケシュ」と呼ばれることとなる |
||||
こちら左端に見えるのが、マラケシュで一番高い、クトゥビア のミナレットです、私たちのホテルもこの先の新市街地です |
上からの写真は、昨日の集合場所のカフェが、今日もフリ ータイムの集合場所なので、その2階でお茶して撮りました |
|||
ホテルにて
|
||||
これは新市街地の写真で、私たちが泊まったホテルの窓から撮りました。
前の道路が広く、メディナ(旧市街地)とは全く違います 新市街地のホテルはほとんどが、中〜高級クラスだそうです |
ホテルの中庭にはプールがあり、水の色がきれいです
このホテルを12時にチェックアウトし、その後ホテルのレストランで朝食を取り、2時5分に駅に向け、バスで出発です |
鉄道にてカサブランカへ
|
||||
近代的になったマラケシュの駅です
雰囲気がアグノウ門そのもので、面白いなと思いました 3時の電車に乗るので、まだ25分ほどありフリータイムとなる |
これは駅前に建っていたのですが、なんだったか忘れました新装駅と対照的な印象です
|
|||
(T)610号、フェズ行き到着です、時間通りに発車です
カサブランカまで1時間15分です、6人がけの一等車です お菓子と飲み物が付いていて、配りに来ます たまたまと言うか旨くと言うか旅行好きの6人が揃い、旅行に来るための日常生活のノウハウを言い合って 、話が大いに盛り上がってしまい、あっという間に時間が経ち、列車の中では一枚も写真を撮りませんでした |
北アフリカ1番の都市カサ・ボヤージュ駅に到着ですが、駅前は広場は大渋滞でした、
カサブランカは白い家と言う意味です、昔はベルベル語で「アンファ」と言いましたが、18世紀半ば過ぎに、リスボン(ポルトガル)の大地震で町は壊滅的被害を受け、その後町の建設がされ、白い家が立ち並び、そう言われるようになりました、スーパーに寄り、ホテルにチェックインです |
|||
「Ricks Cafe」、8時からの食事にレストランへ行きました
名画「カサブランカ」の舞台になった「カフェリックスアメリカ」 の酒場を再現したレストランです |
プレミアムなビール、「カサブランカ」で、まずは乾杯です
下の部屋はピアノが置いてあり、映画のカフェに似せてあるそうです |
|||
こちら映画の画面ですが、1940年のカサブランカはフランス領で、ナチスが支配するヨーロッパから逃れてきた人たちが、自由の大陸アメリカへ渡る中継地だった場所でした。
実際映画のロケはほとんどがアメリカ本土にて撮影されたものだそうです リバイバルで観た口ですが、その後TVでも観ましたが、「カサブランカ」は忘れれない映画で、ハンフリー・ボガートも良かったですが、イングリット・バーグマンの美しさも印象的でした、そしてピアニストのドゥーリー・ウィルソンに歌われた「AS TIME GOES BY」も忘れられません、 |
||||
雰囲気のあるカフェでしたが、観光客で一杯です | 人が多くて場所が狭く、暗くて顔が見えません(笑) | |||
魚料理です | 付け合せも色々とありました |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||