8・9日目カサブランカ観光ーカサブランカ発帰国

 
 カサブランカ観光 
     
 
 

人口400万人を超える町、ラバトが政治の中心ならば、カサブランカは、モロッコはもとより、北アフリカでも最大の経済都市
です、国の経済を支えるリン鉱石[世界の75%を埋蔵する)や、農産物の輸出港としても大切な役割を果たしている
古くはアラファ(丘)と呼ばれていたこの町は12世紀のムワッヒド朝時代んは、アラブ人の海賊の拠点でもあり、すでに貿易港と
して発展していたという
14世紀になると北アフリカを支配したベルベル王朝マリーン朝によるイスラム化が始まる。15〜16世紀にはポルトガルによ
って占領されて、18世紀に再建される、その後19世紀中頃は羊毛の取引を中心に発展し、1907年のフランス占領後はヨー
ロッパの影響を受け、急速に近代化の道を進んでいくことになる

ちなみにカサブランカとは「白い家」と言う意味です、18世紀半ば過ぎに、リスボン(ポルトガル)の大地震で町は壊滅的被害を
受け、その後町の建設がされ、白い家が立ち並び、そう言われるようになりました 
 
 
ホテルにて 

     
大きな柱が中央にあるエントランス   
  アメリカ型近代ホテル・シェラトンに泊まりました     
   
   洒落た雰囲気の食堂で、朝食を頂きました   朝食を食べて、8時45分に出発です  
 
ハッサン2世モスク

 
     
 


実はこのモスクは海上に建てられているのである。1961年にラバトでムハンマド五世が死去した当初、その霊廟は息子であ
るハッサン二世によってカサブランカに建設されるはずであった。しかし首都に廟があれば高官の訪問の際に参拝しやすいと
いう観点から着工間際になって建設地にはラバトが選ばれた、そのためハッサン二世はカサブランカに、このハッサン二世モ
スクを建設した、敷地面積9ヘクタールに及ぶ巨大なモスクの建設には実に10,000人の職人と2,500人の労働者の、合
わせて12,5000人が昼夜を問わず従事した、建材の量もまた桁違いです、セメント30,000立方メートル、鉄鋼40,000ト
ン、大理石65,000トン、装飾用杉40,000立方メートルと言う数字からも建造物の規模と威容が想像できる
また1986年から8ねんがかりで、1993年8月に完成した、モロッコ最大のモスクです
大西洋に面した9ヘクタールの敷地に、モスク内が2ヘクタール、全敷地には8万人、内部には25,000人が収容可能、
ミナレットの高さは200mで、世界最大級の高さを誇る、ベージュにグリーンの美しい緻密な彫り模様が施され、ミナレットの3
つの玉は、現世、来世、神の世を表しているという、設計はフランス人のミッツェル・バンソーである
一番上の写真は敷地内から見た海です
 
 
 
         
   
  入ると、エレベーターがあります、先に地下へ行きます     地下の「清めの場」左側に、蛇口がずらりと並んでいます  
 

モスクの礼拝堂の中です、
約8年の歳月と総工費約8億円かけて建設された聖地
天井は自動開閉、イタリアベニス産の豪華なシャンデリア55個以外は全てモロッコ原産の建築資材を使い建設された
礼拝の場は男女に分かれていて、女性は中2階バルコニーの上を使用するそうです、男2万人、女5千人収容
イスラム教以外の人も入ることが出来ました
 
         

ベネチアのシャンデリアだと思います
 
   壁の模様も綺麗です    
 

ミナレット
上まで2台のエレベーターで行くことが出来るそうです、大きな巨大ドアも自動開閉式です
ミナレットの高さは世界一で、200mあります
海に突き出たところに建つモスクです、イスラム教の経典「コーラン」の中に「神ノイスは海である、すべては海から始まる」トイウコーランの一節を受け、前国王はモスク建設にこの場所を選んだと言われています
一日最期の夜の礼拝時、塔より、緑ノレーザービームがメッカ(聖地)の方向へ放たれるそうです、近代的です
 外の広場には8万人が収容可能ということです
 
         
   
       
 
 
         
 
カサブランカの街(バスの窓より撮影)

     
   
   海辺のアパートやマンションも白いです   海からの風が強い日でした 、大西洋が見えて感激です  
 
  ビーチクラブ という看板があります   この?のモニュメントは何を意味するのでしょうか?   
 
  ヤシの木と、こちらも白い邸宅です    この辺一帯は高級住宅街だそうです   
   
  えんじ色の電車・トラムが 停まっています   女性警官2人と男性警官です、街の治安維持をする  
 
カサブランカ・モハメッド5世空港

     
 
 
モハメッド5世はフランスの植民地から独立させた現国王モハメッド6世の祖父にあたる国民の尊敬を集める王様です
10時50分に空港に到着です、2時間足らずの観光ですから、ハッサン2世モスクのみの観光でした

13:30発予定のEK752が30分遅れで出発しました
 
 
9日目
ドバイ着0時10分(時差4時間)・不夜城、眠らぬ街ドバイに定刻に着陸し、少し買い物の時間がありました、でももうお金がないので何も買いませんでした
3時20分、EK318便出発、
17時10分、成田空港着 (時差5時間)、帰路につきました
 



   あとがき 

 
 
 お土産 
   
 
自分用のお土産に、サハラの砂、ナツメヤシ、
薔薇水、ミニタジン鍋、ポシェット、小物うつわ
が残りました 
アイト・ベン・ハッドゥで買ったあぶり絵です
モロッコに定価はないと言われるようにすべて
交渉次第でした 
 
 
毎年書いていることですが、すぐに完成出来ずに、また年を越してしまいました。
今回は途中で自分のカメラが壊れてしまい、友人に借りて撮ったり、友人が撮った写真を利用したりして完成させることが出来ました、本当に感謝の一言に尽きます
次回からは予備を兼ねて、2台のカメラを持参していくようです。(笑)
 
 資料  
 
 
地球の歩き方「モロッコ」
aruco「モロッコ」
外務省モロッコ王国
Wikipedia参照
旅行社ユーラシアのツアー資料、ガイドさんのまとめ 参考 
その他

素材 

 
   完            2014年1月14日   

 



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