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絵地図Fの元老院が見えます、マトフェイ・カザコフの設計により18世紀に築かれた、ロシア・クラッシク様式であり、かつてレーニン の居所でもあった、現在はロシア連邦大統領府として使われています |
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H番「大砲の皇帝」
1586年にアンドレ・チョホフによって鋳造されたブロンズ製の大砲で、口径890mm、重量40t当時としては世界最大の口径をもっていました |
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ウスペンスキー大聖堂 |
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クレムリンの中心に立つ大聖堂、かつてロシア帝国の国教大聖堂として 、ロシア皇帝が載冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所でもあります
イワン・カリタ公(イワン1世)建てられた最初のスペンスキー大聖堂が、1474年の地震で倒壊した後は、イタリアの有名設計士に1479年にたてられました、当時モスクワのライバルだった古都ウラジミールのウスペンスキー大聖堂を模範として建てられたといわれます
私たちが6日目に見学したウスペンスキー大聖堂のことです、形がやはり似ています
ロシアの歴史を知るには、とにかく重要人物として、イワン大帝、ピョトール大帝、その子供のエリザヴェータの3人を知ることだそうです、それぞれに国を発展させてきた人物と言うことです、3人揃いました |
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聖堂広場から見える南口扉上のフレスコ画は17世紀に描かれました |
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こちらがウスペンスキー大聖堂の南向きで、その扉です |
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ブラゴヴェシチュェンスキー聖堂(受胎告知聖堂) |
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O番ですが、イワン大帝の命により、1484〜189年にモスクワとプスコープの名匠たちの寄って建てられた純ロシア的色合いが濃いとされる建築です、黄金の三角屋根と玉ねぎ屋根の教会です
今は博物館として公開され、イワン雷帝が戴冠式で座した王座、総司教の座、300kgの銀が使われたシャンデリアもあります
教会内を埋め尽くすフレスコ画、イコンも有名です(中の見学はありません)
祭壇のイコノスタス(聖障)は15世紀〜16世紀頃のものでロシアでもっともすばらしいイコノスタスとされています |
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ブラゴヴェシチュェンスキー聖堂の前にはN番アルハンゲルスキー聖堂が建っています
この広場一帯を聖堂広場と言われています |
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A番リラザバラジエーニヤ教会とテレムノイ宮殿(右側)
ウスペンスキー大聖堂の 西側にある、クレムリン内にしては小さめの教会です、15世紀後半にプスコーフの建築家によって建てられ、皇帝の礼拝所として使われていました |
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N番アルハンゲルスキー聖堂は、軍の守護天使、大天使アルハンゲル・ミハイルを祀って建てられた教会です 現在の教会は、イワン大帝が死の直前に下した命により、ヴィエネツイアのイタリア人アレヴォイズ・ジュニアの設計で1506年から1508年にかけて建設された、どことなくルネッサンス様式の面影もたたえています |
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M番はイワン大帝の鐘楼です、イワン大帝(イワン4世)の頃モスクワにこれ以上高い建物は無かった 、それは誰もこれより高い建物を建てる権利がなかったからです、81mです
ナポレオンがモスクワから敗退するときに、爆破を命じたが、18個の鐘は残り、復活祭を機に、教会としての機能を回復している |
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P番グラノヴァータヤ宮殿
聖堂広場の西側にある宮殿です
この名前は、主玄関を装飾する石が多面形のためグラノヴィータヤ(多面)血ついた、この宮殿は、公の儀式、外国大使の接見、祭典などに使われています
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L番鐘の皇帝です、1733-1735年にイワン・マトーリン、ミハエル父子 によって造られた、高さ6,14m重さ200トンの世界最大の鐘です、製造中に火災が発生し、慌て者が火を消そうと水を掛けたために、一部分が欠け落ちてしまい。
欠けた部分だけでも11トンあり、この鐘の音を聞いたものはいない |
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D番、パトリア―シェ宮殿は、ウスペンスキーのお隣、北側にあります、ロシア正教の総主教の宮殿です
5つの丸屋根を持つ十二使徒教会は1656年の建築です
現在は17世紀のロシアの工芸博物館になっています
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元老院=ロシア連邦大統領府
こちら花壇から見た右側、帝政ロシア時代は、元老院。ソビエト時代には閣僚会議館。設計者マトヴェイ・カザコフの名前を取ってカザコフ館とも呼ばれる。赤の広場に面し、二等辺三角形の平面を持つ。赤の広場から、レーニン廟越しに見ると、カザコフ館のドームが見える。レーニン以来、歴代のソ連指導者の執務室が置かれた。
現ロシア大統領プーチンさんがおられるところです
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右側に目をやると、今まで見学して歩いた聖堂群が沢山見えます、やはり鐘楼がなんと言っても一番高いです |
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塔を出ると、赤の広場があります
塔の三角屋根の上に赤い星が付いているのですが、残念写真は切れています |
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塔の下にある衛兵の立つ場所で、衛兵チックでしょうか、
起立の姿勢で立ちます |
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赤の広場(世界遺産)
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クレムリンの正面に広がる広場が、赤の広場で、ロシア語で赤という意味のクラスナヤは元々美しいという意味、ロシアで最も重要な広場で、メーデーと革命記念日にはパレードが行われます。
ピョートル1世以降、ロシア帝国の首都はサンクトペテルブルクでしたが、ロシア革命後に成立したソ連の首都がモスクワに定められ、モスクワが首都に返り咲くと、クレムリンには最高指導者が居住したため、赤の広場の重要性は更に増したわけです。
ソ連時代には、革命記念日である毎年11月7日に、ここで閲兵式(軍事パレード)が行われた
今見てきた、元老院(ロシア大統領府)の丸屋根が見えます、国旗が立っています。その下は今はプーチン大統領の部屋です
そして赤の広場側に見えるレンガ造りの建物が、レーニン廟です、今のロシアの若者はレーニンと言っても知らないでしょう、とガイドさんは言いますから、時代は変わったのですね。
また、サンクトペテルブルグでガイドの男性は、プーチン氏はいろんな方面で凄い人で、この国はプーチン氏の王家でもいい、と言うぐらいの熱烈ファン(支持者)で、そのガイドさんは一見学者風で進歩的に見えたのに、時代の逆行がいいなんて、何と古典的な?考えかと驚きました、”ソ連時代”も遠くなりにけりかな(笑) |
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先ずモスクワに来たら、必ず皆来るでしょう、ですから人の波が消えることがないので、もうそのままの景色で撮影しました
正面の赤い塔が二つある建物は、国立歴史博物館です、
1872年にアレクサンドル2世の命により設立、1883年アレクサンドル3世の戴冠式に合わせて開館したものでした |
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その博物館の右隣に見えているのが、ヴァスクレセンスキー門です。17世紀にあった門が、1995年に再建されました |
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その横、つまりレーニン廟の正面の大きな建物はグムデパートです |
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こちら側に目をやると。あの有名なカラフルなタマネギ型ドームでおなじみの聖ワシーリー寺院が目に飛び込んできます
ただ逆光なので、綺麗な色合いが出ません、逆方向へ行って、写し直します
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もっともモスクワらしい景色です左側、クレムリンの塔、そしてワシリー寺院の図です。これが見たくて来たと言ってもいいぐらいです(笑)いやキジ島の木造建築も観たかったのですけどね、 |
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完成時点では現在みられるような彩色はされておらず、今日見る聖堂の彩色は17世紀から19世紀にかけて施された、
中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く八つの小聖堂が取り囲んでいます、
主聖堂、八つの小聖堂のそれぞれに至聖所があり、合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成している
生神女マリヤのイコンには8つの光線(突起)がある星が描かれることにもみられるように、「8」は生神女マリヤの象徴である
またカザン戦の勝因となった日にちである7日と聖枝祭を祝う計8日との意味合いも込められている。8つの小聖堂が中央の生神女庇護大聖堂を取り囲んで支える構造は、8つの小聖堂が生神女に庇護される構造であるとも解釈される
9つあるドームの全ての高さ・大きさ・装飾が異なるものとなっている
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コローメンスコエ(世界遺産)
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モスクワの南、モスクワ川沿いに345ヘクタールわたって広がる自然保護公園に、14〜17世紀の初めに渡って、歴代の皇帝、イワン皇帝、ピョトール皇帝が別荘を建てて住んだところです、現在は史跡公園になっています、スパスエキ門から入りました |
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「カザンの聖母教会」(1650年)
木造の宮殿と繋がっていましたが、木造建築は無くなりましたが、石造りのこの教会は残ったということです |
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こちらが正門です |
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ゲオルギーの鐘楼(16世紀後半) |
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ヴォズネセーニエ教会(主の昇天教会)
世界文化遺産にも指定されている1532年建立のヴォズネセーニエ教会(主の昇天教会)は、息を呑むほどの美しさで佇んでいました
コローメンスコエで現存する建築で最も古いものが、コローメンスコエの主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)です、
1532年ヴァシリー3世が後のイワン雷帝の誕生を祝して建設した教会で、材料に石材と煉瓦の基礎を用い、屋根は木造である。ロシア正教会の聖堂の最初期の例の一つである。ロシア正教会の聖堂建築は、玉ねぎの形をした屋根(クーポラ)を特徴的とするが、コローメンスコエの主の昇天教会は、八角形の屋根(八角尖塔)を特徴とする
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錨の置物、モニュメント |
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ピョートル大帝の丸太小屋 |
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ピヨートル大帝の像、長身ですから、横に並んだら、私は半分ぐらいでした、肘辺りかな? |
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日光浴、ロシアでは短い夏ですから日光浴も早いです |
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