二日目世界遺産・トロイ遺跡



トロイア城塞跡




トルコはイスタンブルのボスポラス海峡を隔てたヨーロッパ
大陸とアジア大陸に分かれます、その比率は3対97です。 それ故にヨーロッパとアジアの懸け橋と呼ばれ、二つの文
化が交錯する国とも言われています。
イスタンブル空港は新市街地でアジア側にあり、そこからヨーロッパ側にバスは走り、ボスボラス海峡にかかるファティフ・メフメット大橋を渡り、旧市街地も抜け、マルマラ海に面するテキルダーの、リゾートホテルに1泊しました。
全長1510mのこの大橋に、日本の高い技術が注ぎ込まれ、1988年に完成した日本とトルコの親密な交流の結晶
と言われているそうです。

本日はそのテキルダ―からマルマラ海を眺めながらさらに
南下し、ダータネルス海峡をフェリーで渡ります。
    
 港に何隻もフェリーが入り15分間隔ぐらいで出港します
 前に見えているのが私たちのバスで、クルマは下で、
 私たちはデッキに上がりました


 出港して20分ぐらいすると対岸のアジア大陸にある
 チャナッカレの街が見えてきます
 ダータネルス海峡を30分ぐらい潮風に吹かれていると到着
 しました

    
 これからはバスの右手側に見えるのはエーゲ海です、
 丘の上に風力発電の風車があります
 トルコでは火力、風力発電、天然ガスや地熱を燃料として
 いるそうです 


    
1870年シューリマン(ドイツ人)はホメロスの『イーリアス』 の10年に及んだ戦争の中で、色々な勇者が出てきて活躍 し、最後は木馬に潜んだギリシャ軍が町に火をつけて勝利 したという有名な話を信じて、それがヒサルルクの丘と定め て発掘をし、成功しました。


トロイの地に集落が出来たのは紀元前3000年頃 初期青銅器の文明の頃です
紀元前2500〜2000年ごろにエーゲ海岸の交易の中心地 として繁栄したそうです
そのご栄えては滅びるを繰り返し、トロイは全部で9層にわたる都市遺跡を形成したそうです
発掘し、層ごとに数字が張り付けてあります
トロイ戦争は(紀元前1200年)10年に及ぶ攻防で滅亡への
道をたどります
この頃の10年は第7市とされています
上の写真は劇場で、第9市に建てられ、会議にも使われました


第9市の生贄の祭壇(中央)とその後ろはニムファイオン
(泉水殿)です
第6市の城壁とメガロン(部屋)です   
「トロイの木馬」にちなみ、、近年観光用に 作られた木馬です
友人と交互後に上り、窓から手を振り、私は帽子を振りました




  食事・他

 
   
昼食・ほうれん草のスープ  サバの焼き物 
    
夕食の写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました。
トルコは日本の2倍の広さがあり、今回はその西半分、つまり日本の広さと同じぐらいを1周することになります
毎日バスの長距離移動で、今日はイスタンブルから約345kmでトロイへ、その後約150kmを移動してアイワルクのホテルに到着です。
エーゲ海沿いには下のような別荘地が至る所にあり、ロシアやヨーロッパの方、もしくは国内の公務員の方が借りるそうです。
ロシアの方は6月から9月頃と長期滞在だそうです、エーゲ海沿いの気温は暖かく、この日は30℃越えです
   
 エーゲ海沿いに立ち並ぶ別荘  エーゲ海に沈む夕日
   
   
アイワルクのホテルの 部屋 景勝地にあるホテル 
   

 



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