三日目 エフェソス遺跡



ケルルス図書館
エフェソス(ギリシャ語)は、トルコ西部の小アジアの古代都市で、現在のイズミル県のセルチュク近郊に位置しています
古典ギリシア語読みではエペソス、エフェソ、エペソとも表記され、現在はトルコ語でエフェス(Efes)とも呼ばれます

エフェスは共和制ローマ時代には、アシア属州の州都として栄え、キリスト教の影響を受け、聖母マリアと使徒ヨハネは余生をこの地で送ったとされます
共和制ローマ最末期に第二回三頭政治の一頭として権力を握ったマルクス・アントニウスがプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した地で、かつクレオパトラとの内戦で敗北して捕虜となったアルシノエ4世が送られ、そしてアントニウスら2人の意向により殺害された地としても知られている
その後、古代ローマ帝国の東地中海交易の中心となった。最盛期には25万人も住んでいたとされる
現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたもので、巨大な図書館と劇場を備えていた
エフェソスの繁栄は港湾によるところが大きかったが、土砂の沈降により2世紀頃から港湾の規模は縮小されていった
これは、エフェソスの側にある2つの山から流れ込む土砂の堆積によるものであった
    
8世紀頃になるとペルシャやアラブの勢力が拡大するとこの地は放棄され、荒廃していったとされます


 
古典期のエフェソスはアルテミス崇拝で著名でありエフェソスでは比較的遅くまで王政が敷かれていました
哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身です
    
紀元前356年、エフェソスのアルテミス神殿に放火すれば後世に名が残ると考えて実行した者がおり、このとき神殿は完全に焼尽した。エフェソスの市民は記録にこの男の名を留めまいとして、あらゆる公的記録からその名を削ったが、この試みは失敗し、ヘロスタトスという名が伝わっている。アルテミス神殿は再建され、世界の七不思議の一つに数えられた

再建の際にアテネのパルテノン神殿よりも大きなものをということで、広さが縦115メートル、横55メートルで、高さ18メートルのイオニア式の柱127本からなっていました

神殿の内部は大理石の板石で飾られ、大きな入り口プロナオス・主要な広間ツェル・後方の小部屋オピトドムから構成されたそうです



アルテミス神殿跡
 
古代世界七不思議の一つに数えられているアルテミス神殿ですが、今は昔という感じで柱が一本立つのみです

アルテミス神殿はギリシャ神話の狩猟・純潔の女神であるアルテミスを祭ったもので、破壊と再建を繰り返したが最も古いものは紀元前700年頃に建てられたとされる。
125年にゴート族に破壊されて、6世紀には石材として使用するため大部分が持ち出され、アルテミス神殿は存在場所も人
人に忘れ去られましたたが、1869年に大英博物館の考古学探検隊により発掘されました


上の写真で、神殿跡の丘の上の並木のあるところがエフェソス遺跡で。そちらに移動しました
このエフェソス遺跡は東京ドームの約7個分ほどの広さがあり、北の入り口から南の入り口まで1q以上あるそうです

私たちは逆の南の入り口から入り、石がごろごろ置いてあるところで、現地ガイドさんから「ポンペイの遺跡とどっちが大きいと思いますか?」と聞かれ、思わず「これなら、ポンペイのほうが大きい」とつぶやいてしまいましたが、進むにつれ、こちらの方がはるかに大きく、沢山の遺跡が残っていることに驚かされます。
     
エーゲ海側に現存する古代遺跡では最大規模とか・・・(では何故世界遺産ではないのでしょうか)
 

ヴァレリウスの浴場

バシリカ
2世紀に建てられたもので、床下暖房という典型的なローマ風呂の形を残している
 オデオン(音楽堂)とアゴラ(市場)の間を通る列柱廊、アウグストゥス帝の治世期の建てられた

オデオン(音楽堂)

市公会堂
1500人を収容した小劇場で、かつては屋根で覆われていて、コンサートや集会が行われた
オデオンの隣にあり、現在は柱が残るのみですが、かつては聖火が灯され、その火は消えることがなかったそうです

クレテス通り

トラヤヌスの泉
左右には様々な建物が並び、右わきには見事なモザイクも残る。
銀座通りを歩いているかのような混雑ぶりですが、港にエーゲ海クルーズでしょうか、豪華客船が入り、バス50台ほどが到着したそうです。
ヘラクレスの門も女神ニケのレリーフも人がいっぱいで撮れませんでした
三角のファサードが目印です
当時は正面に池があり、そこに据えられたトラヤヌス皇帝 像の足元から 水が流れていた
 この日は秋なのに、30℃以上でしたが、夏の見学ではこ  の通りは40℃を超えるそうで、まだましな日ですと現地ガ イドさんに言われましたが、中々前に進みません

ハドリアヌス神殿

公衆トイレ
2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた神殿で、内側には簡素だが主面玄関の装飾は美しく、手前のアーチの中央には女神ティケ、奥の門には両手を広げたメドゥーサが彫られている。その左右の小壁にはエフェソスの起源伝記が描かれ、神々、動物、などが描かれている。(もっともコピーで、オリジナルはエフェソス考古博物館にあります)
 
写真が斜めに写っていますが、石の手前がくりぬかれていて仕切りはありませんが、下は深く、水が流れているので快適     
な水洗トイレです
紀元前に公衆水洗トイレがあるのですから、古くから下水道が発達している石文明(文化)に感心させらます
 

ケルスス図書館

マゼウスとミトリダデスの門
見事な2階建てのファサードが目印です。
ローマ帝国のアジア州執政官だったケルススの死後、息子が父の墓室の上に記念に築き上げたものです
その正面には知恵、運命、学問、美徳の4つの意味をそれぞれ象徴する女性像があります
この壁を支えている柱の下部はコンポジット式(コリント式とイオニア式の混合形式)の柱頭、上部はコリント式の柱頭のなった大理石の円柱
内部は平屋ですが、1万2000巻の書物が所蔵されていたといわれています
 
皇帝アウグストゥスの奴隷マゼウスとミトリデダスが、解放に際し、皇帝一家への感謝をこめて建てたもの









マーブル通り

アルカディアン通り
 マーブル通りから見える列柱廊と、下のアゴラ
大劇場から図書館に続く道で、またアルテミス神殿へ続く聖なる道の一部でもありました
また通りの下は水路になっていて、娼館の広告が路面に彫られています
港から大劇場を結んだ大理石の道路で、まさにアントニウスとクレオパトラが歩いたという道路です
幅11m、長さ500mの道路沿いには商店が並び街頭も灯されていた
港に船がぞくぞくと着き、栄華を極めた映像が浮かびます、今は土砂の堆積で海はずっと離れています

大劇場

大劇場の外観
アルカディアン通りの先にあるのが、ビオン山に沿って造られた大劇場です
演劇の上演や全市民参加の民会の会場にもなり、市民にとって大切な場所であった
ヘレニズム時代に建設され、ローマ時代になって各部分が拡張された4世紀頃には剣士対猛獣の戦いが行われたそうです
座席の中段より写真を撮りました 
北の入り口の近くから見た大劇場です
ビオン山一つを使っているのがよくわかります
2万4000人を収容できたという大観客席は直径154m、高さ38mの半円形で、全形を留めているのは素晴らしいです
現在コンサートなどに使用されているそうです



 こんなに大きくて残っているものも多いエフェソス遺跡が、しかも観光客も多くて、何故世界遺産でないのかを、現地ガイドさんに聞きますと、「発掘がまだ14%しか出来ていなくて、20%を超えてから、世界遺産と認められる」という風に言っていました。
今トルコでは掘れば遺産にぶつかるというぐらい、ごろごろ遺産が出るそうです
また、それに関して、トルコの人々は、世界遺産だ、そうでないということにそれほど関心がないと言っていました。
最近新しくトルコの世界遺産が一つ承認されたので、バスの中で拍手を送りましたが、トルコ内ではニュースにもならなかったということです。
コンヤの新石器時代遺跡・チャタルホユックで、これでトルコの世界遺産は11個です。
 



  食事・他

 
前頁(表紙)の地図に書いたように西トルコをバスで一周するのですが、現地ガイドさんの案内では、同じ景色は二度と出てこないと言われ、結構必死でバスの窓の外の景色に集中し写真も撮りました。 ただ窓ガラスがあるので、バスの中がガラスに写ったり、走っているので画像が流れたり、使える写真が余りないのが残念です
今日は進行方向の右手側にエーゲ海を眺めて走ります
この地域は地中海に面するヨーロッパと同じく、オリーブ、ブドウ(ワイン)、ひまわり畑、ザクロ、オレンジの産地で、オリーブオイルやドライフルーツが特産品でもあります、もちろん海岸沿いには別荘地も続きます
そのエーゲ海地方最大の工業貿易都市イズミルを通過しました、トルコ第3の都市で人口は350万人、イスタンブルに次ぐ第2の港湾都市です
現地ガイドさんはこの街の出身で、イスタンブル(1400万人)に比べ車の渋滞は少ないし、物価も安く、若者の90%は大学出で文化も高いと話していました
イズミルの港が見えてくるとタンカーや大きな船が増えてきます、きっと豪華客船もこの港に入ったのでしょう
港の向こうには大きな石油タンクも見えます
これまでの町に比べ格段に人口が多いのが建て込んだ住宅地の様子でわかります
大きな工場や煙突も見えました
オリーブの木に青い実、黒い実がついています
赤いバラも良く咲いていました
長いバス旅なので、温かいチャイでほっとします
有料トイレが1トルコリラで、チャイも1TLですから断然お安いです
昼食
 
トマトスープ サフランライスにチョップシン(串焼肉)
パムッカレのホテルの部屋 翌日の朝食
   
   




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