八日目 世界遺産 イスタンブル歴史地区(1)
   

 
 

イスタンブルの歴史は古く、紀元前7〜8世紀にはギリシャの都市ビ
ュザンティオンが成立していたらしい。当時からこの地はヨーロッパ
とエジプトやメソポタミアといったアフリカ・アジアを結ぶ交通の要衝
として繁栄していた
この街が世界の中心都市になるのは、330年、ローマ帝国のコン
スタンティヌス帝が首都をローマからここに移し、コンスタンティノー
ブルに改名して以来
395年にローマ帝国が東西に分裂するとビザンツ帝国の首都として
、また1054年の東西教会の分裂以降は正教会の中心として、キリ
スト教世界の頂点として繁栄した
1453年、オスマン・トルコがコンスタンティノーブルを征服すると、メ
フメット2世はこの地に遷都してイスタンブルに改名
キリスト教の聖地はイスラム教の聖地に書き換えられ、最盛期には
モロッコからエジプト、イラク、東ヨーロッパまでを支配した大帝国の
首都として栄華を極めた
1923年、トルコ共和国が成立すると首都はアンカラに移されるが、
330年から、1923年までの約1,600年の間、東ローマ帝国とオ
スマン帝国という超巨大帝国の首都として君臨。首都はアンカラに移ったものの、現在もイスタンブルの人口は約900万でト
ルコ最大です、この旧市街地は、金角湾に突き出した底辺6km、高さ7km程の三角形状の半島に集中しています
ヨーロッパ側はトルコ全体の3%にしか過ぎませんが、アジア側から金角湾越しに見える半島に建ち並ぶ丸屋根に尖塔(ミナ
ーレ)群は、大帝国の歴史を静かに物語っているようでもあります
注・この日、明日と雨予報が出ていて、本日はなんとか天気が持っているということで、明日の見学予定のブルーモスクを一
番最初に回りました。
その分、スケジュールがきつくなり、海峡クルーズも夜の見学となり、盛り沢山になり過ぎたので、紙面の都合上、ブルーモス
クの見学は、行程表通り明日の行程に加えます 
 
 

トプカプ宮殿

 



トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿で、旧市街のある半島の先端部分、
三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘の上に位置する
かつてここに大砲が設置されていたことからトプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれるようになったという逸話がある
1478年に建てられた皇帝(帝王)の門が見えてきました
   
  アフメット3世の泉
  横にアヤソフィアの裏側を見ながら進みます
 
   
 
皇帝の門をくぐると広い第一庭園があり、ニレの木の林が続きます
  アヤ・イリニ教会、別名「イェニチェリ広場」と呼ばれ、かつ
て、最強を誇ったオスマン・トルコ軍の出陣式がここで行わ
れました
 



第一の中庭を過ぎると送迎門(挨拶の門)あり、ここが宮廷の入り口で、かつては許された者しか入ることができませんで
した、この門を馬に乗ったまま通れたのはスルタンだけで、宰相や高官、各国大使などはここからは歩いて宮殿内に入る
事になっていたそうです、現在はトプカプ宮殿博物館の入り口です。
1453年にイスタンブルを陥落させたメフメット2世は、1460年代に現在の位置にトプカプ宮殿を着工し、その後スルタン
が当時の建築様式に従って増築を重ね、現在のスタイルになった。
70万uの広大な敷地を持つ宮殿で、それ自体が一つの町となっており、1856年に西洋風のドルマバフチェ宮殿が出来る
まで、ウィーン付近から黒海、アラビア半島、果てはアフリカまでを支配したオスマン朝の中心地として栄えました。
その内部は、行政と公式行事の行われる場である外廷(ビルン)と君主の私生活の場である内廷(エンデルン)、そして女性
たちの住む後宮(ハレム)の3つの部分からなる

大きな建物を持たず、比較的小さな建物と部屋が連なり、また、数多くの庭園と離れ(キョシュク。キヨスクの語源)を持つ建
造物群である、そのため、トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿であると説明されることもあります
   
  第二の庭園があり、糸杉の林になっています 
  庭職人が手入れをしている、向こう側がチケット売り場です
   

こちらトプカプ宮殿内の地図です
  第2庭園の先にあるのが幸福の門です、観光客で一杯   まず別料金のいるハレム内の見学からはじまります
   
 



 アラビア語のハラム(聖域)やハリム(禁じられた)を語源とするハレム=後宮の入り口は、外廷の「ドームの間」の側にあ
る「車の門」と内廷の皇帝の私室の脇にある「クシュハーネ門」があり、現代にハレムを見学する場合は、前者からハレム
に入る(ただし、この他に宮廷の外とハレムを直接繋ぐ通用門もある)
ハレムは君主の母后、妃、子供たちと、それに仕える多くの女官や宦官が暮らしており、後には帝位に就いていない皇族で
ある君主の弟や甥たちが暮らす「鳥かご」(カフェス)と呼ばれる部屋も設けられた
ハレムの前にある四角柱の建物は、正義の塔と呼ばれ、市街の監視や外敵を発見するために使われていた
   
こちらハレムに入りすぐのところに 宦官の部屋があり、多く
はエジプトから差し出された黒人であったハレム(女性の部
屋)の警護だった
女たちの部屋はスルタンの母が住む所、1番から4番目の
妻(最初に男の子を産んだ順)が住む所、その他大勢の住
む所に分かれています
  
 
  皇帝の間(?)室内のイズミックタイルが見事です
  まことに豪華絢爛です 
     
  やはりトルコの国花チューリップも描かれています
ハレムの中庭、どこからも見られないようになっています
   
写真の建物右側はかつての厨房で、現在は展示室,
その手前側は宝物館で長蛇の列です
その宝物館の前から第三の庭園を写しました
     
   
  テラスからの眺めは最高です
テラスの下の黒屋根はレストランです
ボスポラス海峡、金角湾、マルマラ海が眺められます
   



テラスからの眺めは最高です、金角湾(左にボスボラス海峡(正面)とボスボラス大橋が見えます、1600年間栄えた歴史を感じます、2本の白い棒は橋で、橋の右がアジア側左がヨーロッパ側です。
     
   
  こちら第4の庭園にある 離れや隠れ家が多くあります
ボスフォラス海峡やマルマラ海峡が目の前に見え絶景
  これがメジディエ・キョシュキュ(キヨスクの語源)東屋で、18
40年トプカプ宮殿最後の建物です、図書館になっている
   



新旧市街地歩き

グランドバザール(旧市街地)

 
 
   グランドバザールの入り口です
  45分ぐらいの自由時間となり、散策する 
 
   入り口前の雑貨屋はつるにバッグを下げています
  こちら織物雑貨の店番猫もうつらうつらとしています
 
 
新市街地

 
   
  新市街地のシンボルガラタ塔、9階立てで、高さは66.9メ
ートル、現在の塔は火災後14世紀以降にに再建された
  タクシム広場にある共和国記念碑、中央にトルコ建国の父
ケマル・アタチュルク、ここがイスティクラル通りの起点です
 
イスティクラル通り散策
  
   
  メインストリートです、日本の銀座通り という感じです
焼き栗屋さんです、友人にもらいました、美味しかった
   
  トルコ名物のドネル・ケバブのお店です。 
  古い路面電車が走っています、ノスタルジック・トラム
 

 
デパートや高級ショップが両側にあります
       
   
  通路の真ん中にゴミ箱を出しておくと
  ゴミ収集車が来て、中身を持って行きます
   
  通りには教会もあります
  こちらはパンの屋台です
 
テュネル電車
  
   
  一番距離の短い電車にのりました
  駅からの出口にもタイルが綺麗に貼られています
 
ガラタ橋から旧市街へ

   
   
  橋の両側にずらりと釣りをする人が、、イワシが釣れる    橋の反対側にもモスクとミナレットが見えイスタンブルらしい 
       
   
   広場に船着き場があり、クルーザーが停泊しています    サバサンド屋、サバがカリッと焼かれパンに挟みます
 



ガラタ橋のたもとにあり、もともとはユダヤ人が多く住んでいた地域に、1598年ムラト3世の妻、サーフィエ・スルタンに
よって建造が開始され、1663年メフメット4世の時代に完成した、大きなドームとそれを取り囲む小さいドームのバラン
スが非常に美しい、新市街から眺めると、イェニジャ―ミィやシュレイマニ・ジャーミィなどのシルエットが絶妙のコントラスト
で浮かび上がり、イスタンブルの美しい景色を作り上げています
 
 
エジプシャンバザール

 
 


 エジプシャンバザールの入り口、トルコ国旗を売る人がいます
その昔この市場がエジプトからの貢ぎ物を集め、設営されたことにちなんで、エジプシャンバザールと呼ばれている
   
   色とりどりのドライフルーツが美味しそうに並んでいます   大小色とりどりの唐辛子を並べた香辛料があります 
       



ボスポラス海峡クルーズ 
   
  6時に貸切船でクルーズに出発です、新市街地のガラタ塔   旧市街地の船着き場と、ジャ―ミィが印象的です 
   
   こんな豪華客船も停泊しています、バス50〜60台で市内見物をするようで一気に街が混雑します   1853年、宮殿をトプカピからドルマバフチェに遷した際、アブデュルメジト1世が自分の母のために建てたモスク
 


1843年から10年以上の歳月をかけ、31代目のスルタン、アデュルメンドがそれまでの木造宮殿を現在のものに立て直し
た、大理石を用いたヨーロッパのバロック様式とオスマン様式を折衷させ壮麗な建築物
部屋は285室、広間も43室あり、それぞれ趣が異なった内装で、宮殿内は、男のみ入れるセラムルクと男子禁制のハレム
の二つの部分に分かれている、儀式の間の高さ36mの天井からつるされたシャンデリアは750のキャンドルが灯されるバ
カラ製で、重さは45トンにものぼるそうです 
   
  オスマン時代後期の6人のスルタンと、共和制になってから
初代大統領のアタテュルクが執務室に使用、今は迎賓館
  宮殿を改装し2008年から豪華ホテル、フォーシズンズ・ホ
テルとしてオープンした
   
  ボスポラス大橋が見えてきました、すぐそばにバロック様式
のオルタキョイ・ジャーミィ があるのですが、真ん中かな
  日もとっぷりと暮れ暗闇の中に ライトアップされたファーティ
フ・スルタン・メフメット大橋が見え、手前がルメル・ヒサリ
 


真横に見えてきたルメリ・ヒサリ
ルメリ・ヒサリは、メフメット2世が建造した要塞で1452年に建てられた、南北の長さは約250m、1453年のコンスタンティ
ノーブル戦に備えて、わずか4か月で造り上げたといわれている

   
  このそばにあるメフメット大橋でUターンして戻ります    そのメフメット大橋もライトアップされ、船上風が冷たい
   
  戻る途中らライトトアップが綺麗です、何かな?    見えてきたボスポラス大橋もらライトアップされ、色が変わる 
 



返ってきました、ガラタ橋にイェニ・ジャーミィに丘の上にあるシュレイマ・ジャーミィもライトアップされています
こんなに写るとは思っていませんでしたから、デジカメの感度に感謝です、トプカプ宮殿の写真が何故ないのか?、昼間だと
もっといろいろと見えて良かったのですが残念です
それと、1453年の戦いに関して、「コンスタンティノーブル陥落」塩野七生の本を読んでいたので、その地理関係が具体的に分かって興味深かったです
1時間半のクルーズでしたが、風が強くて気温が低くなり、甲板には誰もいなくなりましたが、とにかく頑張ってボスポラス海
峡を味うことができました
       




 
食事・その他 
  
   
  ホテルの部屋の窓から見るマルマラ海、朝日と、   反対方向の真下は大きなショッピングモール
   
  ここにも木枠のままの蜂蜜があります   フルーツ一杯の朝食です
   
  サッカー場、昨日通過した時は試合前でサポータ
ーで大渋滞「イノニュ・スタジアム」はベジクタシュ
のホームスタジアム
  左スタジアム、後ろはボスポラス海峡です
黒のユニホームや黒姿で一杯だったということ
は、ガラタサライのアウェイユニホームです
   
  オリエント急行西ヨーロッパ終着駅だったイスタンブル駅、修復中です(バスの窓から)   クルザーが7時半終了し、その後レストランに移
動し夕食です、前菜です
   
  主菜は3種類から選べます、鶏肉にしました   9時から民族舞踊とベリーダンスショーです
   
  ベリーダンスショーはおへそを出して腰をひねり、
細かくリズムを刻みます
  妖艶なダンスで、肌を見せないイスラム教の国
なのに、その対比が凄いです
 
とにかく天気が、もってくれたので、明日の予定見学のブルーモスクと、テュネル乗車と、イスティクラ
ル通りの散策が入ったので、それはそれは盛り沢山の長い一日でした 
散策が雨に当たらなかったのは大成功でしたが、速足で歩きまわるという感じで、カメラも動きながら
写すしかありませんでした、じっくり撮りたかったので、それが残念でした
       




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