2日目 世界遺産・タリン旧市街歩き(その2) 


オレフ教会の塔から見た世界さんの景観
(右から大聖堂、のっぽのヘルマン、ロシア正教、ニコラス教会、旧市庁舎)

昼食後、私たちが楽しみにしていた自由時間です。
いつものごとく、おのぼりさん二人の定番、とにかく高いところに登って街並み拝見というところです。
上の写真で、右手奥、一塊になっている高台がわかりやすいですね、午前中の出発地点山の手、支配者が好んで居を構えたトームぺアです。
エストニア人の神話ではこの丘は古代の王カレフが眠っている墓陵であるとされています。
デンマーク人はここにあったエストニア人の砦を壊しトームぺア城や大聖堂を建てました。
その後1901年に支配した帝政ロシアはその城の目の前にロシア正教教会を建てています、それは独立後も壊されることなく、人口の30%と以上のロシア人が今もエストニアに暮らしているというので、その人たちに利用されています。
真下に走る道路がビッグ通りと呼び、中心地ラエコヤ広場に繋がる大通りでもあります。
城壁と街並み


トームペアに近い城壁

古い雰囲気の残る街
昼食後から夕食のためにホテルに集合する時間まで自由時間となりました。
一通り世界遺産の旧市街地も回りましたので見当をつけ、地図を片手にオレフ教会を目指します。
トームベアの東側を目指したのですが、トームベア寄りになっていたようで、北の城壁の入り口近くに来ました、そこからコース変更して東に向かいました。
タリンが城塞都市だった面影がそのまま残ります、13世紀施行当時は2,5kmあったのが、現在は北側部分の1,85kmが残されているしょうです。
そこで学校帰りの2人の少女に地図を見せて、現在地を確認して、オレフ教会への道を教えてもらいました。
お礼を言って別れ、辻を曲がるところで、その少女が走ってきて、こちらの方角だと確認をしに来てくれました、優しい少女に私達も丁寧にお礼を伝えました。
まるでユトリロのえのような街角です。

ゲートタワー

オレフ教会の塔
どこまでも続く石畳は綺麗ですね、ヨーロッパに来てこういう光景を見ると、つくづく日本の木の文化とヨーロッパの石の文化の違いを実感します。
単に石を敷き詰めただけでなく、電信柱がまったく無い訳ですから、それらの設備は地中に埋められているのです、所々にマンホールの蓋があるので、13世紀ころから地下の工事が進んでいたということでしょう。
左上の写真はピャック・ヤルグ通りのゲートタワーです、門を閉めれば外敵を防ぐことが出来、街が要塞となります。
右上の写真はもう教会の塔が見えてきました、ライ通りを歩いていたようです。

オレフ教会(下の地図上の赤四角)


塔の入り口

塔の屋上からの眺め
13世紀半ばの記録に残る、ノルウェーの聖人を祀った教会で、15世紀に大規模な改築が行われ、その後何度か雷に打たれて焼け落ち1840年にほぼ現在の姿に修復されたそうです。
タリンで最も高い124mの塔があります。
左上の写真が塔への入り口です、入場料を払い、石の階段をらせん状に上りますが、あるのは手すり代わりのロープのみです。
屋上は屋根の上に板を渡し、右上の低めの手すりがあるだけで、塔の周りを1周することが出来ます。
一番上の写真同様、トームベアの高台に旧市庁舎が見渡せ、赤屋根の中性さながらの街並みの光景です。

海側が見える

教会内の祭壇
左上の写真は、トームベアの反対側、街並みと港が見えます。
塔を降りた後は教会ないの見学をしました。右上写真

「ふとっちょマルガレータ」(下の地図上の青四角)


ふとっちょマルガレータ

スール・ランナ門
町のもっとも重要な出入り口を守るため、1529年建てられた砲塔です。
直径24m壁の厚さは4,7mにもなり、ふとっちょの名前どおりですが、名前の由来は、砲塔の役目を終え監獄として使われていた頃、囚人の食事を切り盛りする太ったおばさんマルガレータの名が、塔の愛称となったそうです。
その脇の門が、スール・ランナ門(下の地図上の薄紫四角)と呼ばれています。右上の写真。

聖霊教会(下の地図上の黄四角)


聖霊教会

教会内の祭壇
ビッグ通りをラエコヤ広場に向かって南下すると聖霊教会があります。左上写真
外壁の時計が特徴で、17世紀から時を刻んでいます。
エストニア人の救貧院として13世紀頃にたてられたタリン最古の教会です。ゴシックの木彫りが豪華に施されている内部には、宗教改革で難を逃れた折り畳み式祭壇や絵画などがあるそうです。右上写真

聖ニコラス教会
(地図上の黄緑四角)


聖ニコラス
私たちはラエコラ広場を通り越し、トームベヤの高台の真下辺りにある聖ニコラス教会へ来ました。
船乗りの守護聖人ニコラスの捧げられ、13世紀前半からドイツ商人の居住地の中心に建てられた教会です。
1944年、ソ連の空襲で破壊され、内装は残っておらず、現在は博物館となっています。
ベルント・ナトケが15世紀に描いた「死のダンス」など、貴重な数点の作品があるそうですが、この日は閉館していて観ることが出来ませんでした。

カタリーナの通路(地図上緑四角)


聖カトリーヌ教会の壁の一部

一番美しい通り
ドミニコ修道院脇の通路がカタリーナの通路といい、一番美しい通りと言われています。
人通りが絶えず、上手く写真が撮れなかったので、もう一度引き返すことにしました。
この日は変わりやすい北欧の天気といいましょうか、少し前に雨に降られ、当然持参の傘を差しての観光となりましたが、通り雨のようでやがて晴れ間が見えてきました。
雨に濡れたカタリーナ通りは一段と石畳が輝きを増し、時空を超えてハンザ同盟で賑わった中世の街並みへと招いてくれるようでした。
左上の写真は聖カトリーヌ教会の壁の一部で、15〜17世紀に建てられた建物が残っています。
右上写真の両側には、ガラスや皮細工、陶器など、伝統工芸職人の工房が集まり、カタリーナ・ギルドと呼ばれています。

「セーターの壁」(地図上緑四角)



「セーターの壁」

マフラーや手袋もあります
城壁に沿って屋外セーター屋さんが並びます。
雨が降った時はビニールを被せたりと大変です、右側に赤いドアが開いているところも土産物店やカフェになっていて、名産品の木工の工芸品などが並んでいます。

城壁(地図上の黒四角)


ラボラトーリユミ通りのセーター屋の間にがあり、そこに城壁に上がる入り口がありました。
カフェでもあり、テーブルが前に並べてあり、見つけるのが大変でした、入場料を払い中に入り階段を上ります。
下は先ほどの「セーターの壁」になっている、スール・クローストゥリ通りが見えます、晴れて青空になりました。
城壁の通路の上には小さな屋根があり、その間に9つの塔があり、当時は砲台などがあったのでしょうが、今は見晴台になっています。”修道女の塔”や”サウナの塔”などと名前がついている塔もあります。
城壁の先には、私たちが自由見学で最初に登ったオレフ教会の塔が見えています。

城壁の塔から見た城壁の屋根

城壁の上が通路になっています

トームぺアの丘が一望できます

ビィル門
左上の写真は城壁の塔から見た街並みです、塔のある街並みが美しいです。
トームぺアは高台で、坂のある街となっています。
右上の写真はビィル門(地図上ピンク四角)で、東側の入り口に当たります。
そのビィル門を出たところには6軒ほど色とりどりの花を並べた花屋が続きます。
右下のお店の前で、大きなダリアの花を、「これダリアだよね」と話し合っているとお店の方が、「Yes、Dahlia」と声を掛けてくれました。友人がカメラを出して、撮ってもいいですか?と尋ねると、いいということで出来た写真を見てもらうと、
「Oh beautiful!」「My present’s」とにこやかな笑顔をくれました。
ダリアはダリアなんですね(笑)、それにしても大きな花です、顔よりも大きい花です。
ちなみに調べてみると、 Dahlia(ダリア)は、18世紀のスウェーデン の植物学者の「Dahl ダールさん」の名前に ちなんだ名前ということで世界共通のようです。
夕方6時半にロビー集合ですので、帰ることにしましたが、まだまだ日は高いです。

花屋が軒を連ねています

優しい花屋さん
 スリーシスターズ(地図上水色四角)


旧市街地でも最も有名な中世の住宅”三人姉妹”を改装して2003年にオープンしたホテルです。
1362年以前に建てられた建物に、フレスコ画や木の梁、石の階段などを残し、中は繋がった近代的な設備を備えています。

私たちはここで、天皇皇后両陛下もお召し上がりになったというエンペラーズ・ディナーを頂くので、ちょっとだけめかし込んで集合です。
場所は地図の上のほう、「ふとっちょマルガレータ」のすぐそばの建物です。


夕食
・サンダニエール産生ハムの野菜包み ・仔牛肉のグリル ショロンフォームのせ
・温かいスポンジケーキ 2階から見たカウンター
ホテルの一室です、天皇皇后両陛下も同じ仕様の別の部屋に泊まられたそうです。
とてもシンプルで上質な雰囲気でした。
外に出ると、日も暮れ、長い一日の終わりを告げているようです。


 朝食(ホテルにて、今日と明日)



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