3日目 ”夏の首都”パルヌ  から リガへ



パルヌのビーチ
モーニングコールは朝7時、食事を済ませ8時15分スーツケースを出し、9時ロビーに集合です。
この日はお隣の国ラトヴィアの首都リガへ向かいます。
その途中、バルト海に面した町パルヌに立ち寄ります。
エストニアの”夏の首都”パルヌは歴史と海と太陽の町、泥治療で有名なリゾートタウンです。
パルヌは1154年のアラブ人旅行家の記録んに登場し、そのころはタルトゥ、ヴィリヤンティなどとの河川貿易がおこなわれていました。
13世紀に騎士団に占拠され、バルト海貿易の重要な拠点となり、ハンザ同盟にも加わりました。
その後は何度も町が破壊され、19世紀にはリゾートタウンとして発展し、ロシアやヨーロッパ諸国からも保養客が訪れ再び賑やかさを取り戻しました。

リュートゥリ通り

エリザベート教会
左上の写真がメイン通りのリュートゥリ通りです、そこをまっすぐ行くと右上の写真のエリザベート教会があります。
この赤い塔が目立つバロック様式の教会の建設が始まったのは1744年で、ロシアの女帝エリザベータが資金を出して建設させたのでこの名前が付きました。
内部にはオランダ製のキリストの復活を描いた祭壇があるそうです。

タリン門


タリン門の裏側

タリン門の正面
上の写真のタリン門はかつて3つあった17世紀の城門の一つです。
私たちはバスでタリンから移動したので、門の裏側から入りましたが、正面は南側の海側を向いています。
当時の昔の商人たちはタリンから船でやってきて港に着き、ここから城内に入りました

赤い実

並木道と落ち葉
この辺りの城塁の跡が緑地帯となって広々とした中に住宅が点在しています。
夏の保養地ですから、今はもう秋なので閑散としています、歩いているのも私たちぐらいです、天高く実りの秋と、街路樹にたわわに実が付いています。
右上の並木道も、まだ紅葉には少し早いのですが、黄色く色づき落葉もしていました。

ホテル、アメンディ・ヴィラ

ホテルの庭
パルヌにあるホテルで一番有名なホテル、アメンディ・ヴィラで昼食です。
1905年建設の建物と同様、家具も当時のアールヌーヴォー様式で統一されて、100年前の雰囲気そのものです。
庭も広々として優雅です。
しかもこのレストランはエストニアで一位を取ったそうで、これは本当に美味しかったです。
 昼食
テーブルセッティング 本日のスープ
サーモン マッシュポテトとラタトゥイユ添え パンナコッタ べりー添え


旧泥風呂


パルヌの泥治療は180年以上の歴史があります。
リューマチや神経症などに効果があり、その効用も科学的に証明されています。
この建物で2005年まで泥治療は行われていましたが、建物の老朽化を理由に停止、今は文化センターとなっています。

ネオクラッシクの建築は堂々とし、今もパルヌのシンボルです。
パルヌの海岸

もう息を呑むほど素晴らしい光景が広がります。
どこまでも続く白い砂浜、広がる天空と、思わず心が広くなる感じがします。
真夏にはさぞかし保養客や海水浴客で賑わったことでしょう、今はもう秋、誰もいない海・・・、遊具だけが取り残されています。
でも、まだ雲は夏の面影を残しています。
海水はすごく冷たいです。
パルヌの海岸を後にして3時間ほどかけて隣国ラトヴィアに向かいます。
バスの両側に広がる光景は平坦な牧草地帯です、羊も見かけますが牛の方が多いようです。
右上は国境の手前にある両替所です。
ラトヴィアの通貨はLsts(ラッツ)、補助通貨はSantims(サンティーム)で、100Santims=1Lstsです。
 国境超え、ラトヴィアへ 

国境と言ってもゲートがあるだけです。
簡単にバスのまま移動で、パスポートの検査もありません。
いよいよ2番目の国ラトヴィアです。
私自身、ここへ来るまで、「バルト3国はどこの国のこと?」と聞かれても、3つとも正しく答えることが出来ませんでした。
(旧)ソ連邦というのが、本当に共和国の国の集まりであっただけで、ソ連崩壊までこういう小国は支配下におかれていたと言うことです。
最もその前にもドイツなどの強国に組み込まれていましたから、国としての名前の印象がなく、1991年に独立の若い国ということです。
右上の赤松林が続き、なんとなく日本の志賀高原や富士の裾野の景観に似ていて親しみを感じます。
この道中、加藤登紀子さんが歌う「百万本の薔薇」という歌の原曲がラトヴィアの歌であることを知りました。
それで、ラトヴィア語の歌を何度も流してくださいました。

『百万本のバラ』の原曲は、1981年にラトビアの放送局「ミクロフォンス (Mikrofons)」が主催する歌謡コンテスト「ミクロフォナ・アプタウヤ」に出場した『(マーラは与えた)』というラトビア語の歌謡曲だそうです。
その後、ラトヴィアの作曲家が書いた曲に、ロシアの詩人がグルジアの画家のロマンスを元に詞をつけ、モスクワ生まれの美人歌手が歌うという、多様な民族の芸術家が絡んでいる点で、ソ連ならではの歌とも言える、そうですが、
歌詞の内容は、ロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とはまったく異なり、大国にその運命を翻弄されてきたラトヴィアの苦難を暗示するものだったということです。

バスで1時間ほど進むと主都リガに到着です。
エストニアより大きな街です、夕方の帰宅時間と重なったようですが、もちろん日本のようなラッシュ状態ではありません。
左上はメインストリートでバス停があり、路面電車も走っています。右上は劇場で、犬の絵が面白いです。
アヴァロンホテルに到着です、ホテルのレストランにて夕食です。
  Avaion(アヴァロン)
駅やバスターミナルに近く、かつ旧市街の南側に面している、とても立地件の良いホテルです。
ホテルもオランダ人のデザインナーがコンセプトを担当し、古いものの魅力と近代的な快適さの両方を追求しているそうです。
中々シックな雰囲気が出ています、ただ世界一身長の高いオランダ人のデザインナーですから、右上の洗面所の水道の位置は日本人には高すぎです。(笑)
あの台の中に埋め込まれるぐらいでいいのですが、さらに高いのですから、手から肘に水が流れてきます。
 夕食
ヘルネスップ(豆のスープ) カアポツ・ティテニ ラトヴィア風ロールキャベツ
フルーツ 私たちの部屋から見えるかぼこ型の市場


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