4日目 世界遺産・リーガ街歩き(その1)



聖ペテロ教会の塔とブラックヘッドギルド
230万の人々が暮らす国ラトヴィアの首都リーガはバルト3国の中では規模も大きく最古の歴史を持つ街と知られています。
リーガには70万人が住み、より開放的な都会的な空気があり、バルト3国の中心に位置し、経済的にも他の都市をリードする存在です。
リーガの街が歴史に登場するのは1201年、ブレーメンの僧正アルベルトがここに上陸し要塞を築いたことにはじまります。
その後すぐに帯剣騎士団を結成し、ドイツ人によるバルト地方支配者の根拠地となりました。
13世紀末にはハンザ同盟に加盟し都市は急速に発展し、教会や商家など旧市街を彩る建築はこの頃に建てられました。
その後16世紀から19世紀にかけてリガはポーランド、スウェーデン、帝政ロシアに支配され、帝政ロシア期にはぺトログラード、モスクワに次ぐ大都市となり、新市街にはユーゲンシューテール様式の建築が次々と建てられました。
”バルトのパリ”と呼ばれた街並みも、独立後復興され、街全体が巨大な建築博物館のよう、ロマネスクから、バロック、アールヌーボー建築にいたるまで、様々な歴史的建造物を楽しむことができます。
市内をダウガヴァ川と城壁跡に囲まれた旧市街、その先にある開放的な新市街の二つを楽しむことができます。

私たちのホテルは右の地図上の下、紫丸の場所にあります。
まずバスで新市街の見学に出かけました、右の地図上にはありませんが、ちょうどその真上に新市街があります。
ユーゲントシュティール建築(新市街地)

19世紀後半におこった俗に「アールヌーボー」(ドイツ語)と呼ばれる建築様式運動のことです。
外壁上部に人体や動物のモチーフなどを非常に細かく表現してあります。
主にアルベルト通りやエリザベート通りなどに多く見られるそうです。
リーガの建築ブームとこのユーゲンシュティール様式建築の時期が重なり、1900年から十数年の間に集中的に建てられています。最も修飾的傾向が強い初期ユーゲンシュティール様式を代表する建築家が、有名な映画監督エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』『イワン雷帝」)の父親ミハイル・エイゼンシュテインで、アルベルタ通りに集中してあります。
左上の建物もそうで、手前にある銅像はこの建物の建設者ミハイル・エイゼンシュテインの像です。
右上はその建物の上の部分で、こまかい彫刻が施されています
見ているだけでも飽きることがありません。
さらに・・・。
今は高級マンションや領事館として利用されています。

世界遺産・旧市街



市庁舎と広場 (地図上赤丸)


市庁舎と広場

聖ローランド像
旧市街の歩き始めは市の中央にある広場からです。
広場を取り囲むように再建された市庁舎、ブラックヘッドギルドや聖ペテロ教会が建ち並んでいます。
中世には市場が立ち、祭りや市の条例の布告、魔女の火あぶりなどの刑罰も行われる中心地でした。
現在広場の中央に建つ像はリガの守護神の聖ローランドの像です、色んな人々が集まり、チェロやトロンボーンの楽器演奏が行われています。

聖ペテロ教会の塔

市民広場に面し聖ペテロ教会の前にある占領博物館
聖ペテロ教会の塔が見えていますが、ここは午後に訪れます。
その教会の前、ブラックヘッドギルドの向かい側にあるのが、右上の写真の占領博物館です。
旧ソ連共和国の一つであったと言っても、それは無理矢理に併合されたもので、その間は支配されていた、占領という時代をそのまま名前にした博物館です。
中にはナチスやソ連の占領時代をテーマにし、ラトビアの苦難の近現代史を伝えているそうです。
シベリア流刑の様子を再現した部屋やその被害の大きさを物語る資料を通して、ラトビアの歴史を知ることが出来ます。
入場料は寄付で、無料でも良いそうです。
私たちは入る時間がなかったので広場の写真を撮るだけでしたが、この広場の周りは戦後の復興で新しく建てられたもので、占領博物館は、ソ連支配時代に建てられた歴史博物館をつかったもので、その真正面の駐車場側には右の写真のライフルを担いだ、いかにもソ連兵と分かる大きな石像もありました。
雰囲気がばらばらと言う感じがしましたが、それが、この国の歴史を物語っているとも言えるようです。

ブラックヘッドギルド
 (市庁舎の向かい)


ブラックヘッドギルド

15世紀から1941年にドイツ軍の空襲で破壊されましたが、リーガの創設800周年にあわせて2000年にほぼ完全な形で復元されました。
彫金細工と彫刻で飾られた外観で目立つのが、月、日、時間と月齢を刻む大時計は左上の写真の水色が時計です。
時計の下には4つのハンザ都市、リーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章浮き彫りにされ、ギリシャ神話の像が置かれています。
大ホールなど内部も再現されています。

リガ大聖堂 (地図上青丸)


リーガ大聖堂

正面のステンドグラス
1211年から建設が始まり、その後何度も修復が重ねられ、18世紀後半に現在の形となりました。
そのために、ロマネスクからバロックにいたるさまざまなスタアイルがこの教会には混在しています。

サイドのステンドグラス

パイプオルガン
この大聖堂の名を高めているものに、美しいステンドグラスとパイプオルガンがあります。
北側にあるステンドグラスは、リーガの歴史を映したもので、19世紀の終わりにミュンヘンで作られたものです。
重厚なパイプオルガンは1883年に造られたものですが、木彫りの彫像で装飾されたフレームは16世紀以来のものが残されて、使用されています。
パイプは6718本を数え、長いものは10mにも達し、造られた当時は世界最大でした。現在上の部分は木枠があります。
今夜はこちらのパイプオルガンの演奏会に参加するので楽しみです。

塔の上にあった雄鶏
高さ90mの現在の党派776年に建て直されたものですが、それ以前の塔は50mも高かった。
塔の上の雄鶏は1985年に付け替えられ、以前のものが保存されています、左上の写真ですが私より背が高いです。
他にも墓碑銘や司祭やギルドの墓石などが、南側にあった修道院の回廊に展示されていました。
その回廊側から見た塔が右上の写真です。

リーガ城
 (地図上左端ピンク丸)


リガ城

衛兵
1297年から1330年にかけてリヴァニア騎士団とリーガ市民の間に激しい衝突が起こり、敗北した住民は最初に破壊された最初の城の代償にこの城を建てさせられました。
その後ポーランドやスウェーデン、帝政ロシアとそれぞれの時代の支配者が居住していた白亜の城です。
現在は大統領官邸のほか、歴史博物館や海外美術館としても機能しています。
私達も歴史博物館の見学をしましたが撮影禁止でした。
中には古代から中世、近代の暮らしぶりや服装類、また学校で使われていた机や椅子などの展示がありました。
右上の写真は衛兵の警備中の写真です。
三人兄弟 (地図上紺色丸)
聖ヤコブ教会 


三人兄弟
兄弟のように肩を寄せ合って建っている三人兄弟です、中世の住宅で当時の外観を保っているそうです。
それぞれ別の時代に建てられ、右から17番地の長兄はリーガに現存する最古の住宅、19番地の次兄、21番地は弟だそうです。
右上のヤコブ教会は1225年の記録に登場する古い教会です。
15世紀に建て直され、塔の高さは80mあります。
スウェーデン門 (地図上茶色丸)

火薬庫 (地図上黄緑丸)


スウェーデン門

火薬庫
1698年に建築されたリーガに中世から残る唯一の城門で、当時の向かい側にある兵舎のスウェーデン人がよく利用したのでこの名前がついたと言うことです。
右上の火薬庫は14世紀初頭に建てられ、火薬を保存するのに利用された。
1621年スウェーデンによって破壊された後、現在のように再建されたそうです。
高さ25,5m、壁の厚さ3mもあるそうで、この外壁には17〜8世紀にロシア軍の攻撃を受け7つの砲弾跡が今も残るそうです。
猫の家 (地図上水色丸)

リーヴ広場の北側にある建物で、かつてここに住むラトヴィア商人が、ドイツ人が支配的なギルドへの加入を断られたため、猫のモニュメントをギルドに背を向けて取り付けたことからこの名が付いたそうです。
その後コンサートホールに変わり、猫は音楽に誘われて向きを変えたとのことです。
 レストランにて昼食
猫の家のすぐ近くにあるリーヴ広場はゆったりとして緑が多く、オープンカフェやレストランで行く秋を惜しむように、太陽を浴びての昼食です。
私たちはその一角にあり人気があるという右上の写真のお店”4 Rooms”に入りました。
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