2日目 世界遺産・タリン旧市街歩き(その1) 


トームぺア城の展望台から見た旧市街地

バルト3国の最北に位置し、北欧フィンランドに最も近いのがエストニアです。
日本の8分の1の国土(九州よりやや広いぐらい)に、人口140万人(福岡市と同数ぐらい)、首都タリンはそのうちの40万人が暮らしています。
かつて閉ざされたソ連の一地方都市でしたが、1991年独立し多くの観光客が行き交う北欧に開かれた”バルトの窓”となりました。

この地は1万1千年前に先住民が住み自然崇拝の文化がありました。
11世紀頃にはエストニア人の砦が築かれていましたが、十字軍騎士団の活動がバルト地方で活発になり、デンマーク王により、1219年砦は占拠され、トームぺアの丘に城が築かれ、エストニア人は「Teani Linn」(デンマーク人の城、町)と呼び、それがタリンの名の由来です。

その後はドイツ人の入植が進み、13世紀半ばにハンザ同盟の都市として発達しました。
旧市街地には今も当時のままの街並みが保存され、そのまま街ごと世界遺産となっています。

今日一日はその世界遺産タリン旧市街の街歩きです。
まず高台にあるトームぺア城から旧市街の見学です。(右の地図で、左側のピンク色のところが山の手、トームぺア城のある地域です)
濃い太線は城壁です。

アーモンド売り

金属製品のみやげ物店
タリンの街は11世紀から15世紀にかけて作られたという石畳が綺麗で、落ち葉が風に吹かれてかたまります。
9月16日は日本ではまだ残暑が厳しいころですが、こちらでは2ヶ月先の11月頃の気候です。
街角に立つ赤いコート姿が可愛いアーモンド売りですが、そこまで寒くはありませんが、観光客用の衣装でしょう、アーモンドは南の方の国から買い込んで、煎り甘くしたものを土産用に売っていて、試食用にくれます。
右上の写真も土産物店です。
この歴史地区にバスで入ることは出来ないので徒歩で散策します。
まず地図のピンクの山の手、トームぺアの展望台(地図上青丸)に行き、旧市街地を眺めました。

 山の手


展望台から見た左手側旧市街地(オレフ教会の塔)

展望台から見た右手側旧市街地(ニコラス教会の塔)

トームぺアは石灰岩の層でできた高さ約24mの丘で、市街地を見下ろすトームベアは常に権力の居城となり、市議会が支配する下町とは政治的にも物理的にも厳格に隔てられていました。
かつてエストニア人の砦があった場所に、13世紀前半に建てられた騎士団の城で、18世紀にロシアのエテカリーナ2世によってバロック様式に改築されました。
城の南側にある塔は15世紀の面影を残し、「のっぽのヘルマン」(50,2m)として国の象徴となっています。
写真は国会議事堂で頂いたパンフよりトームぺア城全景です。
右端が「のっぽのヘルマン」で、後で写真を撮ることにしたのですが、時間内に戻らなかったので写真がありません。

トームベア城(現国会議事堂)(地図上赤丸)


トームぺア城(現国会議事堂)

国会議事堂の中、ブルーの絨毯に黒いドア
現在、トームベア城は国会議事堂として使われています。
普段は見学できないのですが、ラッキーなことに、国会が夏休み(7、8、9月)が開ける準備中ということで特別に見学させてもらうことになりました。
右はその時に頂いたパンフレットです。
建物の中は現代のデザイナーによる設計で、ブルーの絨毯に黒いドア、白い枠はエストニアの国旗を表しています。
国旗は19世紀のエストニア学生協会の旗として生まれ、1922年国旗に制定されます、青は古代の自由、黒は失われた独立、白は明るい未来を意味しています。

民族構成はエストニア人68,6%、ロシア人25,7%、ほかにウクライナ人、ベラルーシ人など。
言語はエストニア語、外国語には中高年層にはロシア語やドイツ語が、若年層には英語が良く通じるそうです。

議事堂内

アレクサンドル・ネフスキー聖堂
国会議事堂の会議室に入り、国家議員の使用する席に座り説明を受けることになりました。
会議室も国旗の3色が使われています。
国会議員は101人で一院制で、議員専業ではなく兼業というボランティアのようです。パンフの裏一面に国会議員全員の顔写真が載っています。
女性議員は25%で、消費税は20%です。

右上の写真はトームぺア城の真向かいにある、ロシア正教のアレクサンドル・ネフスキー聖堂です。
ロシア皇帝の権力の象徴として19世紀末に建てられたロシア正教の教会です。建物にも歴史の違いを感じることが出来ます。

大聖堂(トームキルク)

石造りの家と石畳(オレフ教会の塔)
こちらが、1291年にデンマーク人がトームぺアを占領してすぐに建設され大聖堂(トームキリク)で、エストニア本土の最古の教会です。
右上の写真はトームベアの丘の石畳を下ると旧市街地=下町に出ます。
中央に見ている尖塔は聖オレフ教会の塔です。

 下町

ラエコヤ広場(地図上紫色丸)


デンマーク人に支配される前から、市場として存在していた広場で、ラエコヤ広場と呼ばれます。
旧市街の下町エリアの中心部となり、かつて港で荷揚げされた商品がここで取引され、バルト・ドイツ商人が築いた街です。

露天商で賑わうラエコヤ広場

観光客もいっぱいです
広場の中央には沢山のテント市場が広がり、生活用品やみやげ物が並び観光客で賑わっていました。
回りにはお洒落なカフェやレストランもあります。

ラエコヤ広場

旧市庁舎
左上はお茶目なおじさんが、カメラに手を振ってくれています。
右上の写真はで、北ヨーロッパに残る唯一のゴシック様式の市庁舎です。
14世紀半ばに最初の建物が建てられ、1404年の増築後に今の姿になったそうで、夜にはライトアップされるそうです。

旧市庁舎(地図上黒色丸)


旧市庁舎の中の見学をしました。
まず2階に上がるとそこがメインホールです。
ハンザ同盟(青と黄)、富と力(緑と赤)を象徴する色彩の柱があります。(左下の写真)「市民の間」といわれ中世から賓客を迎えた場所です。今も政府の迎賓館として使われているそうです。
その壁にはソロモン王朝の伝説をテーマにした15世紀のタペストリーがかけられています。(右下の写真です)
その上にはタリンの大紋章と小紋章があります。

「市民の間」

壁にかけてあるタペストリーと紋章
左下の写真は市議会が利用した「議会の間」には当時の厳格な雰囲気を伝える装飾が残っています。
14世紀の二つの長椅子があり、長椅子の一端にはライオンにつか噛みかかるサムソンが彫られています。(右下の写真)
またこの「議会の間」は法廷としても利用されたので、上段の8枚の絵は「正義」をテーマにしているそうです。

「議会の間」

長椅子の端の凝った彫り物

市議会薬局(地図上茶色丸)


薬局の看板

市議会薬局
旧市庁舎の正面にあるのが、現役薬局ではヨーロッパで最も古いもののひとつだそうです。
1422年の記録にはすでに3人目の店主だそうで最初は市議会が運営していて付いた名前だそうです、計りにへびの看板があります。(左上と右上の写真)
左下は薬局の中です、現在も営業しているので、薬やハーブティーなども売られ、隣の部屋は展示場になっていました。
その部屋の窓からラエコヤ広場越しの旧市庁舎を眺めると、時代物の薬瓶同様に中世にタイムスリップしたようです。

市議会薬局の中

薬瓶と薬局の窓から見た旧市庁舎
その後、城壁を見ながらお昼のランチをとるレストランに向かいました。
 昼食

「オルデ・ハンザ」というレストランで昼食です。Olde Hansaと書き中世の料理を再現している店。

「オルデ・ハンザ」の入り口

私たちはもっと奥の間です
どんどん中に入っていくと、洞窟のように暗く、灯りも少ないのでフラッシュをつけて撮影しました。
パンやおかずも次々回ってくるのですが、お皿の色と同じ色合いで口に入るまで何を食べているのかわかりません。
それで、回す方の容器の写真を撮りました、中世風の野菜類の煮物や漬物やお肉類です。

色合いがお皿と同色で何を食べているのか?

こういう野菜の煮物漬物類を頂きました


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