五日目 アグリジェンドーパレルモ 



 
 
   (上の地図で示すと、3,4,8,9と回り、5のアグリジェント へ来たということになります)


アグリジェント神殿の谷



アグリジェント〔Agrigento〕は、地中海を隔ててアフリカのチュニジアと向かい合う(チュニジアまで約220q)、シチリア南部に位置するアグリジェント県の県庁所在地です。(人口約59,500人)
アグリジェントの町は、クレタ島とロードス島からジェーラ(アグリジェントの西方70キロの海沿いの町)に植民したギリシャ人により、紀元前581年に築かれました。
同じくギリシャ人の植民によりつくられた町シラクーサほど勢力を拡大することは出来なかったものの、壮大な神殿群から想像できるように、紀元前5世紀頃アグリジェントの町は、非常に繁栄しました。人口が30万人くらいあったと言われています。特に、紀元前480年のヒメラの戦いで、シラクーサと組んでカルタゴを打ち破った後、アグリジェントは、戦利金でゼウス神殿を始めとする立派な神殿が築きました。
世界遺産のアグリジェント神殿の谷(=考古学公園)は、厳密には神殿が立ち並ぶ丘から、向かいの高い丘の上にある現在のアグリジェントの町の手前まで広がっています。ギリシャ・ローマ時代に町があった場所で、昔は町の回りを城壁で取り囲まれていました



ヘラの神殿


一番東側の高台にあります。
紀元前460年頃に建造された周柱式ドーリア式神殿で、ギリシャ神話の最高神ゼウスの正妻ヘラに捧げられていました。ヘラは、結婚と家庭を司る神なので、ギリシャ時代は神殿前で結婚式が行われていたそうです。
基壇とかわずかに円柱に残る白い漆喰は、ギリシャ時代に白く塗られていたことを物語っています。フリーズやコーニス、シーマは、なんと赤や黄や青の色で塗られていたそうです。今は、凝灰岩がむき出しになっているので地味です(アグリジェントやシラクーサのほとんどの神殿は彩色神殿でした!)
神殿の規模 横17m x 縦38m 高さ 15m 柱の本数 6 x 13本
 
   


神殿の横にはアーモンドの木が植わり、道の反対側にもアーモンドやオレンジの木が茂る中を進みます
 
 
 
 
   
神殿は丘の上にありますが、向こうに見える現在の町がありますが、そこまでの谷の間に古代の町がありこの谷が「神殿の谷」と名付けられました
今はアーモンドの木が植えられています
   
アグリジェントの向かいはアフリカなので、この町は暑く気温も高いです
両脇にアーモンドの木が植えられていますが、日中なので木陰はありません。アーモンドの花の咲く、この谷(丘)の2,3月はそれは美しく桃源郷になるそうです。
 
     
   
見上げるとアーモンドの実がびっしりついています
ここで、現地ガイドさんが、バッグからアーモンドの実を取りだし、一人一人に渡してくれ「これを食べると美男美女になるからさー食べて」と、それで私たちの距離が一気に縮まります。いや食べ物のせいだけでなく、話のテンポがよいのです

またガイドさんが、、イナゴ豆の木を見つけて、「ギリシア語でイナゴマメの実をとカラットcaratと言い、これが塩を計るための重さとして使われていましたが、ダイヤモンドの大きさを言うカラットの語源となったそうです。


 
     
 
 
ヘラ神殿からコンコルディア神殿に行く途中、左側にギリシャ時代アグリジェントの町を取り囲んでいた城壁が崩れながらも残っているのですが、よく見ると穴が空いているものが多いです。穴は、ビザンチン時代に墓地として使用していたときの名残です。わずかにフレスコ画が残っているところもあります。
アングリジェントも、今回のG7に立候補したそうで、沢山の遺跡と景色のよい場所だということですが、タオルミナに適わないことが一つだけあったそうです。
それはホテルが、タオルミナ程ないということです。(安倍首相は50人連れ、トランプ大統領は150人ということですから)
  テンポの良い話しぶりで、おしゃれな(写真傘の人)、アグリジェンド在住の中野陽子さんはきっと名物ガイドさんなのだろうと思っていたら、今度TBSの6月20日の「世界の日本人妻は見た」と言う番組に出るそうです、
TBSの人が、「日本人ですよね」「お宅へ行ってもいいですか?」「はい」で話が決まったそうで、こういうのに出演料というのはなく、「お土産に何がいいですか?」と聞かれ「納豆」と答えたそうです。

そうしたら、「沢山納豆を頂いて冷凍にしました。」「もっと高いものを言えば良かった」と裏話をしてくれました。(笑
 
    コンコルディア神殿
 
   
見えてきました、ほぼ原形を残しているコンコルディア神殿です。大きく開けた丘の上に、海を背景に、それにふさわしい美しいドーリス式神殿が建っています
  コンコルディアとは、ローマ神話の、平和・調和・和解を象徴する女神の事です。紀元前5世紀半ばにディオスクロイ神に奉納する為に建てられました。ギリシャのパルテノン神殿の三分の二の大きさを誇り、42mx19.7mでシチリアでは最大級のドーリス式神殿で、屋根はないものの前面6本、側面13本の柱が残っていて保存状態が良い事で知られています。


6世紀末の初期キリスト教時代に、聖ペテロ・パウロ教会として使用され、柱と柱の間を色鮮やかな漆喰壁で塞がれていたのでそれが補強となり、後年の地震でも崩壊することなく、保存状態良く保たれたといわれています。
 
 
 

     
 

 神殿前にブロンズ像が置かれていますが、これはギリシャ神話の中のイカロスの像です。イカロスは、海の上を飛んでいる時に、太陽に近づきすぎて羽の蝋が溶けて落ちましたが、上手く渡り終えた父親のダイダロスは、アグリジェントの近くに辿りついたとされています。
(ギリシャ神話イカロスの墜落)
 
 
 
         
  どれぐらい大きさは、ガイドの中野さんと比べるとわかります
大きくて、驚きます
 
コンコルディア神殿とヘラクレス神殿の間の道の右側に、2015年からアグリジェント固有種のヤギ「Capra Girgentana」が放牧されています。西アジアの山岳地帯に住むマーコールの血を引くヤギで、螺旋状の角を持っています
 
   

  ヘラクレス神殿
東から丘を下がってきたところにある、8本の柱が並んでいる神殿です。
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスに捧げられていました。
紀元前520年頃建造されたアグリジェントで一番古い神殿です。周柱式ドーリア式神殿で、他の神殿よりも少し古い時代に造られているので、柱のエンタシス(中央部がいくらか膨らみを持っている)が強調され、他の神殿よりも、奥行きの柱の本数が多いです。(他の神殿は13本ですが、この神殿は15本)
 
   
 
   ゼウス神殿
連絡橋を渡った西側の入口にあります。
ギリシャ神話の最高神ゼウスに捧げられた神殿です。
いったいどれが神殿?と言いたくなるぐらいの石材の瓦礫の山ですが、実はギリシャ時代に建てられた神殿の中で、最も大きいものの一つです。表面積が約6300m2あり、小さいサッカースタジウムと同じぐらいの広さがあります。
ヒメラの戦いの戦勝記念に建てられたものです。
紀元前480年に神殿の建築が始まりましたが、規模が大きすぎたため、建設に年数がかかりすぎて、紀元前406年カルタゴがアグリジェントに攻めて来た時に、未完のまま崩壊しました。
昔はもっと大きな瓦礫の山だったに違いないのですが、16世紀に近くの港の堤防建設のため、神殿の石が石材として持ち出されています。
 
   

 
   神殿の中央には、装飾のためだけでなく、実際に円柱にかかる重圧を軽減する役割もしていた巨大な男性の柱像テラモンのコピーが横たわっています。大きな像が頭と膝までしかありません。オリジナルは考古学博物館に保管されています
人体像柱(10m以上の大きさ、転がしてある)で、手と頭で屋根を支える人の形をしています、これだけで38体あり、完成すれば世界最大のギリシャ神殿となるはずだった、ゼウス神殿です。
神殿の規模 横56m x 縦113m 高さ 33m 柱の本数 7x 14本

現在の町、高台にありますが、昔からあの地域には豊かな水が湧きだしているということです、紀元前の建造物の対比が凄いですが、違和感はありません。時空間がすでにわからなくなっているようです。
 
     
       


   
  パレルモ
シチリア州の最大の都市パレルモは州都であり、人口は68万人を数え、シチリアの商工業の中心地でもあります。地中海の中心地という地理的な条件から、アラブやノルマンといった南北からの度重なる侵略の結果、異文化の入り混じった興味深い文化が創造されました
 
     
   
町の中には、ジャカランダの花が咲いています
   こちらも、広場に面(下の写真)4つの建物の一つです  
   


クアットロ・カンティの壁面
四辻(十字路)の意味です、マクエダ通りとヴィットリオ・エマスエーレ大通りが交差する地点に17世紀に造営された小さな広場が起源。
スペイン総督らによりバロック都市計画の一環として造られたものです。広場に面した4つの建物はその角を弧を描くように丸く切り取られた形になっており各壁面に3段ずつの装飾が施されています。
一番下には四季を表現した噴水、2段目には歴代スペイン総督(カルロ5世、フイリッポ2世、3世、4世)、3段目にはこのまちの守護聖女(クリステイーナ、ニンファ、オリーヴァ、アガタ)がそれぞれ見下ろしています。
 
   ノルマン王宮とパラティーナ礼拝堂

     
   
 
  ハンカチの木が入り口近くにありました、
たたんだハンカチをぶら下げているようで、沢山の花がありました
 
ノルマン王宮は現在はシチリア州議会堂として使われています、11世紀にアラブ人が築いた城壁の上に、12世紀にノルマン人が拡張してアラブノルマン様式の王宮となる
 
 
   
 
中庭に面して回廊があり、この2階にパラティーナ礼拝堂が、3階にはルッジェーロ王の間が、それぞれ12世紀の往時の風情で残されています
  回廊の中側に、天井に向けて。細かいモザイク画が、すでに壁に描かれています  
     
 
聖書の内容がモザイク画で煌びやかに描かれています
ノルマン様式の具像装飾画です
   
アラブ・ビザンチン風の幾何学模様のモザイク装飾の床、鍾乳石模様の木製天井の装飾は、ノルマン時代にもシチリアで活発に働いていたイスラム文化の職人の手によるもの
 
 

長さ32m、幅12.4mの小さな礼拝堂は壁一面が金箔モザイクで装飾されています。2007年に2年に渡る修復を終え、神々しいほどの輝きを取り戻しました。

初代ノルマン王ルッジェーロ2世の戴冠の年、1130年に建設が始まり、1143年に献堂されたこの礼拝堂は、ルッジェーロ王個人の礼拝堂として王宮内部に建てられました。建設にはノルマン人の到達以前にシチリアを支配していたギリシャ人(ビザンチン帝国)、イスラム教徒が携わったといわれています。
各文明が融合した、歴史的・芸術的に大変興味深い場所です。
 
 
 
   
モンレアーレの大聖堂と回廊


     
     
   
建設されたのはシチリア・ノルマン王国3代目の王、グリエルモ2世の時代。1174年には建設が始まっていたと言われています。見所はやはり、壁面を覆いつくす金箔のモザイク。現存する教会の中で、世界一モザイク装飾表面積が大きく、6000uを越えます。ちなみに2番目はヴェネツィアのサン・マルコ寺院です。
  回廊は228本の双子の柱(2本で対になっています=写真の左側上部)で支えられています。

皆違う柱頭飾りになっています。4隅の柱は名工の作品になっています。
 
   


パラティーナ礼拝堂に似ています、でもこちらの方が大きいです。キリストの手のひらの大きさだけで2mもあります。
パルモアから距離にして8kmそして年代もパラティーナ礼拝堂が建てられて31年後と近い年代に建てられています。

時代は1100年代後半で、まだまだ中世。宗教権と世俗権がせめぎあっていた時代であり、教皇は世俗の皇帝や王をも支配下に置こうとしていました。パレルモのカテドラルには、ローマ教皇の息のかかった司教がいて、それを面白く思わない王グリエルモ2世が、当時、王家の狩猟場だったモンレアーレにカテドラルを建設したのだということです。
イタリアで51番目の世界遺産です。
 
         
   
壁面下部の幾何学装飾のモザイクや床面のモザイクは、偶像崇拝が禁止されているイスラム教徒たちの手によるものと言われています。
   
ノルマン人たちがシチリアを支配する以前、この島を支配していたのはイスラム教徒たち、その前はビザンチン帝国ということで、以前から住んでいた人々を上手に活用していました
 
  マッシモ劇場(ゴッドファザーの撮影場所)

   
   


マッシモ劇場は、パレルモ出身の建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・フィリッポ・バジーレによって設計され、息子のエルネスト・バジーレによって完成させられたのが1897年のこと。なんと33年もの歳月をかけて造られました。

当時のパレルモの経済的発展は著しく、最も華やかな時代を迎えようとしていた頃でした。そんな中で、華々しくこけら落としが行われたマッシモ劇場は、まさにパレルモの繁栄の象徴として人々に称えられたのです。
一度は閉鎖された時期もありましたが、現在はその壮麗な姿が蘇り、現役のオペラ座として数々の公演が行われています

また、マッシモ劇場はゴッド・ファーザーの最終作で、重要な舞台として登場しています。劇場では映画に登場していたロイヤルボックスシートや正面階段などを目にすることができます。
 
     
   
会場前のホールですが、重厚感があります
   会場の中です、こちらも重厚感に溢れています  
     
  5階までありますが、その上には客席もあるのでしょうか?あるようで、天井桟敷席のようです。
入り口の上はロイヤルボックスになっています。
   天井の素晴らしい絵画です  
   

 こちらがロイヤルボックスで、座席に座って説明を聞くことが出来ました、初めての経験です。やはり見やすい席です。
 
         
     





 

食事・その他

  
 
   
   
   海べりのヨットハーバーです    そのすぐ脇にある現代風レストランでランチです  
 
昼食

     
   
   
 
   
ペペロンチーノ(多すぎます)
   カジキマグロのソテー(これも大きすぎます)  
 
 
 
 
 
ティラミス(イタリアなだけに)
   
 

夕食(ホテルのレストラン)


     
 
 
 
   
 トマトとナスのパスタ(やっぱり多いです)
   牛肉のシチュー  
   
   
 
 
デザート
   ホテルガリバルディの部屋
本来なら、G7と鉢合わせにならなければ、ローマからこのパレルモに入り、私たちの行程の逆で、今日がタオルミーナの予定でした。5日目が一日目の予定でした。(笑)
 
   
 
 
       
 








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