6日目ワルザザートアイト・ベン・ハッドゥマラケシュ


 
 ワルザザート
     
 
中庭のプール際にも沢山の花が咲いていましたが、こちらはFINTホテル前の花です、右上はホテルのサイドです

モロッコへ来てサハラ砂漠に入るルートは二つあります、一つは、私たちが来たエルラシデイアからエルフードに南下する「東
の砂漠ルート」と、もう一つは、このワルザザートからドラア川の渓谷に沿って南下する「ドラア・オアシス・ルート」と呼ばれるものです。その時このワルザザートは砂漠の入り口の町となります。
ガイドブックはこちらのルートが載っているので、ワルザザートからサハラ砂漠が一般的かも知れません。 
ワルザザートは、1929年代に、フランス軍によって  サハラ砂漠の最前線基地として建設されました。現在はモロッコ軍が駐屯
しており未だにかなり広い範囲が軍用地になっている。フランス軍がこの町を建設する以前は、東にあるタウリルトのカスバあ
るだけの小さい村でした。
 
 
  カツテ、デビッド・リーン監督がこの近郊で映画「アラビアのロレンス」を撮って以来、この地域はいくつもの映画の舞台として 使
われ、砂漠への憧れを抱くたちの観光熱を高めてきた、その入り口となった町がこのワルザザートです
左上は映画の町として、フィルムのモニュメントがあります、右上は広い広い撮影所です
 
 
タウリルトカスバ

     
 
  このカスバは20世紀初頭フランスの保護領下、モロッコ南部
の砂漠地帯で絶大なる力を誇ったグラウィ所有のカスバでし
た。地域の維持を図るために、フランス軍は有力部族の地
位を保全したが 、なかでもグラウィを重用したそうです
  有名な映画「シェリタリングスカイ 」のロケにも使われたそう
です、横にワイドでパノラマでないと入りきりませんでした
中庭があり、そこでの音楽や踊りをグラウィはバルコニーか
ら見物したそうです、内部はかなり複雑な造りとなっている
 
 
この地形はバスの中から撮ったものですが、ワルザザートは
右を見ても左を見てもこういう砂漠というか荒野が延々と広
がるばかりです。もう外の気温は38度以上、昼は50度になる
こともあり、一年を通して雨が降ることはないそうです、それ
でここに世界最大の太陽光発電施設が計画されています、
太陽の光があり、広い土地がありと、まさに再生可能エネル
ギーに最適です
ワルザザートの西33kmにアイト・ベン・ハッドゥ 村が見えて
きました、いわゆる日干し煉瓦造りの古い「クサビ(要塞化さ
れた村)のひとつです
カスバとクサビの違いは同じ要塞、砦、城郭の意味があって
も、カスバは司令官などが住んだのに対し、クサビは複数の
家族が住む村ということです
 


 
 アイト・ベン・ハッドゥ(世界遺産)
 
     
 

 
「この現実離れした不思議な風貌は、迫力ある空間芸術と言ってもいいほどで、壮観です
小川のほとりにある丘の斜面を利用して、立体的に造られているこの村には、来るものを拒むような巨大な門がどっしりと構え
ている。」

「アラビアのロレンス」「ソドムとゴモラ」「ナイルの宝石」などといった映画 のロケ地として使われたことでも有名、2001年に「ハ
ムナプトラ2」も撮影され、2010年に公開の「プリンス・オブ・ペルシャ・砂の時間」の撮影にも使用された
モロッコで一番美しいといわれるこの村は、1987年ユネスコの世界遺産に登録されていて、現在も修復作業が進められている
そうです。Ait(家族)Ben(子供)Haddou(ハッドゥ家)の意味があります
 
         
     
   遠目に見ると、丘と一体になって見えます、背景にして、ここ
から記念撮影をしました
  脇を流れるメラー川で 、洗濯する人々、かなり大きいものを
洗っています
 
 
   カスバ街道に来て初めて橋を見ました、最近になってできたそうで、それまでは馬やロバの背に乗って渡っていたそうです、ではその方たちは失業したのでしょうか?   ただ残念なのは、鉄骨とコンクリートで出来ていることです、
せっかくの世界遺産の村ですし、もっと自然に馴染む木の橋
は出来なかったのでしょうか 
 
 
   可愛い子供の服や雑貨類を並べた土産物店です  
こちらは壁沿いに織物や籠、帽子が並べてあります 
 
 
  下のバーナーであぶり出しの絵を描く技術に驚きました
下絵にサフランやお茶を水に溶かした液で描きます 
  上から見下ろした絵描きやさんのお店です、あぶり絵はカス
バの絵が多く、私も記念に買いました
 
 
  高い城壁が巡らされ、銃眼が配置された塔が一定の間隔を
おいて何本もそび えます、写真は頂上の砦のようです
  村内の道がまるで迷路のようにその間を縫っていて、まさに
難攻不落の要塞を思わせます
 
 

上から見た景観です、本当に川のそばだけに緑が茂っています、オアシスです、水は貴重です
道は上から見ても迷路のようになっています
 
 
 
ムセさんのお宅を訪問し、ミントティーをいただきました
トルコの洞窟の家と似ていて驚いました
現在このカスバには6家族が住んでいるそうです
   トイレは別棟になっています、また物置にもなっています  
 
 アトラス山脈越え

 

アトラス山脈は、モロッコを大きく二つの顔に分けている
北側のマラケシュ、フェズといった大都市を「城壁とメディナ
の世界」とすれば、南側の地域は 、サハラ砂漠へと続く「カ
スバとオアシスの世界」です、延々と広がる乾いた大地に点
在する、緑豊かなオアシスの村々。
アトラスを越えるとは、つまり北と南を分けるこの大きな壁を
越えて行き来するということです、余りの風景の変化、ダイナ
ミックな地形、道の険しさに、驚愕の数時間を過ごすことにな
ります。アトラス越えはモロッコの旅のなかでも一番のハイラ
イトとなります
 
 

ティシカ峠
 
標高2260mと記されています、今回のツアーで一番海抜の高い地点です

 
 
  アイトベンハットゥから10km程走ると、ティシカ峠に着きますその峠にある土産物店です、化石も多く見られます    オートアトラスは一番高い山でも4167mもあり、3000〜4
000m級が連なる山脈で、その頂には白い雪が見えます 
 
 
   断崖絶壁の中を走るのでスリル満点です、広大な景観がス
ライド画像のように、目の前を通り過ぎます
崖から転落する車もたびたびあると聞くと、ヒヤヒヤします
まさにモロッコのいろは坂のようです
  対向車線に同じ白の4WDが何台も連なり、英国ナンバーで
したが、砂漠へ入る旅行者たちでしょうか。
また前を走っていた車の後部座席のドアから子羊が転がり
落ち、バスの運転手さんが前の車に教えてあげました、無事
だったでしょうか?暑いのでドアを開けたまま走っていたよう
です 
 
 
 
次のトイレタイム に入るレストランが下に見えてきました
ドライバーや、旅行者たちのオアシスです(笑)
そして、無事に着きそうです
  この写真はレストラン貼ってあった写真を写したもので、これ
が有名な木にのぼるヤギ で、このアルガンの実を食べるの
を見て、ベルベル人はアルガンの実の有用性を知ったという
ものです
 
 

アルガンオイル作りの少女たちの実演です
アルガンの木はフランス語でアルガニエという、この木はモロッコ南西部大西洋の年降水量200〜400ミリの乾燥地帯に自生
分布し、地球上でもこの地域とメキシコ特有の樹木で、港湾都市アカディールを中心とした830万ヘクタールのアルガンの樹
林地域がユネスコによる保護地域に指定されている、モロッコ特有の貴重な資源であり、ベルベル人が古くから利用している
 、アルガンの果実は実の小さい時は緑色で、熟すにしたがってオレンジ色となる、熟果の大きさは6〜10センチで、果実の
収穫は3月から9月にかけてである。
果実の中には茶色の種があり、種の殻を割ると中に「子房」の核が3個あり、この核がアルガン油の素であり,これを搾ると油が
得られる。
 
 
 
石臼で搾ると写真のような茶色の透明な油がとれる
以前はランプの油としたが、現在は食用とコスメティック用に
使われ、オリーブよりも優れ、また美肌と整髪とに分けられ
て使用されるそうです
  更に山を下ると、砂漠と景色が一変し、緑と花が多くなってき
ました、私も木にのぼるヤギを見たいと、バスの窓から目を
凝らしって見ていましたが、黒ヤギは沢山いましたが、木の
は登っていませんでした 
 
 
 
これはウチワサボテン畑のようです
花を食用にしているそうです
  バスの中から撮ったので、画面が動いていますがウチワサ
ボテンです 
 


 
マラケシュ T
     
 
ランチ 
     
 
 
ハイアトラスのくねくね道をドライブしてきて、マラケシュに 着いた時刻はすでに2時です、遅い昼食を頂いました
最初にテーブルに多くの野菜が並びます、必ずその中にご飯が入っています、この国ではお米は野菜の一つです
更にテーブルの真ん中に形は違いますが、春巻きのような料理が出てきました
 
そしてもう、お腹も一杯になったころに、名物料理の「チキンのクスクス」が出てきました、お米のように見えるのは、 硬質小麦の一種であるデュラム小麦の粗挽粉に水を含ませ、調理後の大きさが約1mm大の小さな粒になるように丸めてそぼろ状にしたもので、それに、ナス、ズッキーニなどの野菜、羊肉、ヒヨコマメなどが蒸されています
 
 
 
レストラン内ですが、凝ったタイル細工がしてあります 
 
同じくレストランの凝ったタイルの壁から床です 
 
 
バビア宮殿 

     
   
 
19世紀のアラウィ王朝の首相バー・アフメッド ・ベン・ムーサ
の宮殿です、歴代の首相が住んでいました
外壁の入り口は狭いのですが、中に入るとオレンジの並木
道が100mほど続きます
 
庭には花がいっぱいで、沢山のブーゲンビリア、ジャカランタ
、オレンジ、バナナの木があります、赤いブーゲンビリアは良
く見かけますが、オレンジのブーゲンビリアがの花が素晴ら
しいです、下の人物と比べると大きさが判ります 
 
   
首相が4人の妻と24人の愛妾と住んでいました、建物はイス
ラム様式で作られており、スペイン・アンダルシアの職人によ
って建てられ、広大な庭園に豪華な個室つが並んでいます
   
 
   
愛妾用の会議室と個室には、彩り鮮やかなタイルが貼られ
、アトラスシーダー材の天井には細密画が描かれています、
アルハンブラ宮殿に負けない芸術作品です
 
   
 
ちなみに最初の男の子を生んだ妃が最も重く扱われたこと
から、この妃の部屋の天井は他の妃の部屋とは異なり、平
面ではなく舟形になっています 
 
 
部屋を仕切るアーチの形にムーア式、アラブ風と、色々な
形がありました
   
 
 

周囲の建物はお妃と愛妾の部屋で、最後の大広間には大理石が敷かれ、噴水のある水盤が涼しげな印象を与えています
 
         
 
サアード朝の墳墓群

 
     
   
サード朝(1549〜1659年)の代々のスルタンらが葬られてい
ます 
本来はモスクの方から入る道があったのが、閉じられ、
1917年空から発見されるまで、その存在は隠されていました
   
 
   
入り口は非常に狭く、1mほどしかなく、サード朝を倒したアラ
ウイ朝の王が、迷信を信じ、この墳墓を破壊せず、高い壁で
囲んで誰も入れないようにしたため、300年近くその存在が
知られていなかった 
 
 
 
廟には3つの部屋があり、それぞれコーランの一部や幾何
学模様の美しい模様が施されている
 
色鮮やかなタイル張りで、顔をメッカの方向に向けて葬るよ
うで、青色の細かいタイルの下に左を向いて寝かされているそうです 
 

庭にもお墓がいっぱい並んでいます
これらは使用人たちのもので、もちろん土葬です、全員に白
い布を巻き、顔だけをメッカの方向に向けて葬り、2〜3年で
、骨だけになったそうです 
 
 
もっとも豪華な部屋が「第二の部屋」で、「12円柱の間」と呼
ばれ、イタリア産の大理石でできた12本の円柱が、木や漆
喰の装飾的なアーチを支えています、中央の一番大きな墓
がサアード朝の黄金王アフメド・アル・マンスールの墓です
   
 


アグノウ門
メディナの南側、王宮の近くにある美しい門です
マラケシュにある19の門のうちの一つで、12世紀に造られた
アーチの周囲は、赤と緑の砂岩で、馬蹄形や半円形の繰り込み模様で縁取られ、
その上の壁にはコーランの詩の装飾文字が刻まれています
スルタンが宮殿に行くために使われた門だが、死刑に処された罪人の首さらす場所でもあったそうです
 
 
 
マジョレル庭園

     
 
 
1920年代 フランスのアールデコの画家ジャック・マジョレル
が造園、彼の他界後、デザインナーの故イヴ・サンローラン
が買い取り、修復し経営を始めました
建物の濃いトルコブルーを「マジョレル・ブルー」と呼びます
 
マジョレルのアトリエだったところは、イスラム美術館になっ
ているそうです
これはバンブーの林です 
 
 
 
噴水がある休憩所
また邸内に、ブティックもカフェもあるそうです
 
ヤシ、バナナ、ブーゲンビリア、幾種ものサボテンと南国植
物があります 
 
 
クトゥビアモスク・ミナレット

     
 

 
   マラケシュはモロッコのほぼ中央、標高450mに位置し、モロッコを語るとき、この町を抜きには語れない
マラケシュはモロッコの歴史、建物、自然、そして人間が見事に集約されている、いわばモロッコの縮図
町の背後にはオートアトラス山脈があって、北の肥沃な大地と、はるか南のサハラ砂漠との隔壁となっている
北からも南からもあらゆる土地の人々がやって来る町、集う人々も、売買される品物も、交わされる情報も、
余りにもバラエティ豊かでその数も溢れんばかりです
今も昔もこの町のシンボルは西にそびえる、クトゥビアモスクの高さ約77mのミナレットです
 
 
 
 
クトゥビーヤ・モスクは、モロッコの都市マラケシュにある、市内で最も大きなモスク。
 
ミナレットはムワッヒド朝の第3代アミール、ヤアクーブ・マンスールの統治下(1184年から1199年)に建設され、
後にラバトのハサン塔となる、セビリアのジラルダのモデルとして使用された。
モスクの名称は図書館員を意味するアラビア語の「アル=クトゥビーイン 」の由来するものである。
これは、かつてモスクが本を売る人々に囲まれていたためであった。
 
 
 
その他

 
     
 
 
外からクトゥビアモスクの見学終了で、 6時前です
その後1時間のジャマエル・フナ広場でのフリータイム(買い
物時間となりました)後の、集合場所がこのカフェの前でした
 
今夜のマラケシュでのホテルの部屋の写真です
この後、7時半からホテルのレストランで夕食を頂きましたが
、写真はすっかり忘れてしまいました 
 


 

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