Barcelona その1

 パセオ・デ・グラシア通り
  
バルセロナは地中海に面したフランスのすぐ隣のカタルーニャ地方にある都市です。
スペインは各地方に”国”があるといわれますが、986年にはバルセロナ伯国として独立を宣言、これが現在のカタルーニャの起源となります。
このカタルーニャ地方は、地中海交易で栄えた中世に、バレンシア王国やマヨルカ島を征服し、カタルーニャ語を普及させ、中世ヨーロッパの影響を受けながらもイスラムの進んだ文化を取り入れ、独自の歴史と文化を育ててきました。(約4世紀にわたる黄金期)
しかしその後のスペインの統一により衰退、1714年にスペイン継承戦争の敗北を機に自治権を失ってしまいます。

再び発展が始まったのは、19世紀後半に起こったカタルーニャ独自の文化を押し進める芸術運動・モデルニモスです。
その中心地となったバルセロナではイスラム文化とゴシック建築の特徴を融合した華麗で個性的な建築が次々と建ちました。
フランコ死後の1977年に自治権を獲得し、フランコ時代に禁じられていたカタルーニャ語を復活させます
このカタルーニャにはピカソ、ミロ、ダリの個性的な画家である3大巨匠を生み出した地でもあります。

私たちもスペインの古い歴史建造物と共に、そういう20世紀の個性的芸術品に直に触れるのをとても楽しみにして来ました。
スペインは世界随一の世界遺産保持国で37あると言いますから、いくつ見て帰ることが出来るのか楽しみです。
ヨーロッパではツアー観光には必ず現地ガイドが付くことになっていますので、日本から来て当地で暮らしている方や、逆に当地にいて日本を学んでいる方が付くことが多く、両国の違いを直に体験した上での話なので、興味深いです。
そのメモと写真が、旅行記を書く上での大きな資料となっています。

カサ・バトリョ
ガウディ

カサ・パトリョ
カタルーニャ広場からまっすぐパセオ・デ・グラシア通りが続いています。
その大通りには10万本のプラタナスの木が植えられているそうです。
グラシア通は100年前のおやしき通り(高級アパート街)で、ガウディの残した作品が見られます。

まず、左写真のカサ・バトリョ(パトリョ邸という意味)を車中から見ました。
実業家バトリョの依頼を受けてアントニオ・ガウディ が1904〜1906年に改築し、テーマは海で、色鮮やかなガラス破片やタイルを使用し、太陽に反射してきらきらと輝く様子は海面のようでもあります。
また独特のバルコニーの形をしています。
カサ・ミラガウディ)(世界遺産)

カサ・ミラ

ゲート

中庭
さらに、大通りを進むとカサ・ミラ(ミラ邸)という集合住宅(アーパートメント)があります。
こちらは山をテーマとして、地中海の巨岩を思わせる造形で、カタルーニャの聖地であるモンセラットの巨岩をモチーフにしたものだそうです。
当時の人々は少々皮肉も入れて、切り出した石がむき出しという外観から「ラ・ぺドレフ」(石切り場)と呼び、今では愛称として使われているそうです。
ガウディはカサ・ミラを設計、1906年に着工し1910年完成しました、ガウディの晩年の作です。
世界遺産に登録されています。

さすが、上の写真の玄関も、独特の模様で作られています。このゲートから中に入り入場料を払います。
エントラスからすぐ吹き抜けの中庭に出ます。
建物の中に入ったのにそこは外で、総吹き抜けで楕円形の弧を描き、窓がずらりと並んでいます。
真ん中に渡した外階段にはグリーンが配してあり、個性的な雰囲気が漂っています。
この建物には楕円形と円形の二つの中庭があります。
1階はお店、2階が注文主の住居で、後はアパートだったそうです。
現在は2階部分と屋根裏部屋、屋上が一般公開されていて、後は現役住宅です。
ということは世界遺産が住居ということです。

右下の写真は、当時のミシンやアイロン台が置かれて綺麗に整頓された主婦室(家政婦用でしょう)という感じでした。
また、馬具を置いた道具部屋もありました。

日差しのさす廊下

家事室

キッチン(大きなオーブンがあります)

模型
地下は,現在ガウディグッズを扱うショップになっていて、最上階の6階はEspa Gaudi(エスパイ・ガウディ)というガウディ建築に関する博物館になっています。

エレベータを使って6階へ上がり博物館に入ると,建築図面や多くの模型・写真、当時の重心の計算方法なども展示されています。(右上の写真)
建物の独特の形状がどこかユーモラスで、温かみを感じます。
良く見ると直線がないというのが特徴でしょうか。
ガウディは自然というのがテーマだそうで、自然界に直線はないというのが定義だそうです。

6階からは階段で屋上に上がることが出来ます。
屋上には様々の形をし、兜を被ったような煙突や通気口があり(左下)、その煙突越しに市内を見下ろすことが出来ます。(または宇宙人?とも言われているそうです)
まるで公園のようです。(笑)
右下の写真の正面には、現在も建築中のサグラダ・ファミリア聖堂が見えています。

屋上の煙突群

屋上の先に見えるサクラダ・ファミリァ聖堂

モデルニモスは19世紀末にフランスを中心にヨーロッパで起こった「新しい芸術」=アール・ヌーヴォーのスペイン版です。
スペインの工業会をリードしたその新しい階級が新しい建物、装飾を求め、カタルーニャナショナリズムとなり、古い文化を見直しながら発展しました。
この地区の看板はスペイン語、カタルーニャ語、英語表記の3種が書かれています。
スペイン語の公用語としては・スペイン語(カスティーリャ語)
                  ・カタルーニャ語(カタルーニャ地方)
                  ・ガリシア語(ガリシア地方)
                  ・バスク語(バスク地方)
とあり、カタルーニャ地方ではカタルーニャ語に誇りを持っているのでスペイン語との両用(バイリンガル)です。

またモデルニモスは建造物だけでなく、生活に根ざし、街中にもその影響が多く見受けられます。
グラシア通りを埋める敷石(左下)、グラシア通り沿いに点在する街灯もガウディの作品です。

ガウディ作のタイル

ガウディ作の街灯
カサ・リュオ・モレラモンタネール

1864年、ドメネク・モンタネールにより改装された集合住宅です。
華やかな花柄のタイルや左の写真の飛び出した豪華なベランダが特徴的です。



1階には「LOEWE」(ロエベ)のブティクが入っていて、日本人も多く訪れているそうです。


こちらの水は石灰分が多く含まれ、美味しくない水だそうですが、その石灰水に強い木として、プラタナス(すずかけの木)が街路樹に植えられています。
それも含めての都市作りの美観と実用が上手く兼ています。



 グエル公園(世界遺産)
エウセビ・グエルはバルセロナの中心街から北の山の手に、60区画の分譲住宅を建て19世紀のイギリス式田園都市を参考にしたにした近未来都市を建設するというプロジェクトを、ガウディに依頼します。
20ヘクタールの地に1900年からガウディは着工しますが、その後資金難となり1914年中断、1918年にグエル氏は死去します。
1922年グエル氏の遺族が、バルセロナ市に寄贈され公園となります。>
私達はバスで次第に上り坂となってくる住宅街を走り抜け、駐車場に着きました。
この高台からはバルセロナ市内からモンジュイクの丘(右の小高い丘)に、地中海まで眼下に広がり、絶好の景勝地でもあります。
緑の多い丘の上で、これらの緑を残した中に60軒の住宅を点在させる構想だったことが伺えます。

私達は公園の上の裏口から入ったようで、正面入り口へ向け、下って見学することになりました。

ギリシャ広場で遊ぶ人々
私達の先に見えてきたのは、周りがテラス風で、うねりながら続く波型のベンチが縁取り(右下になっている中央広場です。
上の写真で、その名をギリシャ広場と言います。
私達は山側の道を下っていますが、左下の写真は向かい側の歩道橋です。
ガウディが自然の中に直線はないというように、曲線で出来ていて、面もうろこのようになっています。

歩道橋と独特の橋脚

粉砕タイルで出来た模様と曲線ベンチ
タイルを粉砕して、それを組み合わせて柄に貼り付けたもので、様々な模様や色が波打って見えます。
同じ模様はなく、それぞれに味があり時間があれば、一つ一つ見て回りたいぐらいでした。
訪れた人々はそれを背にして腰掛、バルセロナの素晴らしい景色を眺めたり、この広場での催し物(スポーツやイベント)を見学することが出来ます。

椰子の木のような壁

列柱廊
このギリシャ広場から下ると、左の写真のように山側は椰子の木を模した壁と涼めるベンチが自然に融合しています。
右上の写真はギリシャ劇場の下へ出る列柱廊で、雨よけにもなっている遊歩道で、柱は放物線状に立っています。
自分がまっすぐに立っているのかどうか?平衡感覚があやしい錯覚に陥ります。(笑)


ギリシャ広場の下の市場がギリシャ風で神殿のように見えます
その広場の真下に来ると何故ギリシャ広場と命名されたのかわかりました。
ここは市場として考えられた広場ですが、それを支えている円柱が、トリス式円柱でギリシア神殿風だったからです。
右下の写真はこの百本柱廊の天井装飾で、太陽を模様にしたような大きな飾りが4つあり、色ガラスを粉砕して張り付けたものです。
これらはガウディの弟子の1人だったジョゼップ・マリア・ジュジョールの作品で、27歳も年下でしたが、ガウディの信頼も厚く、ジュジョールの仕事にはほとんど口を出さなかったと言われています。

この階段の上の段には、有名なのトカゲ(一番上の写真)のオブジェが置いてあり、もっとも当地ではドラゴン(竜)とも言われているそうです。
その下の段にあるのが、同じく粉砕タイルで作られたヘビのオブジェ(上の写真)で、口から水が出ています。
中央に設置されているので階段は左右に別れ、右側の階段から写しました。(左下)

太陽の模様の天井飾

左右に分かれた階段

ガウディ邸

可愛い門番小屋
左上の写真のピンクの壁の家がガウディの住まいでした。
今はガウディ博物館となって、ガウディのデザインした家具や使用したベッドなどが置いてあるそうで、内装も凝ったガウディ調だそうで、中に入る時間がなかったのが残念でした。
右の写真は門番小屋で、お菓子の家のようにユニークで可愛いです。
左上の写真は門番小屋の前にあり管理事務所になる予定だった建物で、今は資料館となっています。
ガウディの建物は石造りで曲線が多く、お菓子の家のように可愛くて、夢のおとぎの国という感じがします。
これらをウォルト・ディズニーが参考にして、ディズニーランドに取り入れたというのがよくわかりました。
この門番小屋と資料館の間に正面門があり、ここからトカゲのオブジェの階段、市場、ギリシャ広場と登って行くのですが、私達は逆コースでした。
この見晴らしいの良い広場を中心に、高級住宅地が点在する予定だったのでしょうが、グエルが望んだイギリス式庭園都市?というのはわかり難いのですが、ガウディ独特の近未来都市ができたというのは想像することが出来ました。

この中で完成した住宅は3戸で、1軒はモデルハウスとして建て、ガウディ邸として使用し(上の写真のピンクの家)、ここからカサ・ミラの建設工事に通いました。
2軒目はグエル邸で、これは現在はグエル小学校の校舎として使用されています。
3軒目は、唯一の購入者となった医者のトリアス邸ということです。






Barcelona   Granada   Mijas   Sevilla   Cordoba   La Mancha   Madrid   Malaga   Segovia

                                                                                                                                            
                                                                      

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送