Barcelona その2

 サン・パウ病院(世界遺産)
グエル公園を後にしてサクラダファミリヤ聖堂と対峙する場所にあるサン・パウ病院へ立ち寄りました。

敷地内に48の作品が建ち、世界遺産に登録されています。
道中、バスの車内より、その広い敷地内が点在する姿が見渡せましたが、いたる所で、保存用かもしれませんが工事が行われていました。(14万5000uもあるそうです)
モデルニモスの中でも当時流行していたゴシック様式に、スペイン独自のイスラム的要素を含んだ”ムデーハル様式”を加え、独特の曲線や装飾を用いた建築として造られたそうです。

ドメネク・モンタネールの最大の作品でサン・パウ病院はこの様式の代表的な作品で、ドメネクには「芸術には人を癒す力がある」という信念があったそうです。
ドメネクは病院の完成を待たず1923年に亡くなりますが、息子が意志を継ぎ、1930年に完成させました。

滑らかな曲線とイスラム風のモザイクタイルで、壁に描かれた像などが素晴らしく、ステンドグラスも多く、またそれが現役の病院と言うのも驚きでした。

細かい彫刻がされています

立派な病院の門です

サクラダファミリアが見えます
向かいの通りから、立派な門構えを撮りました。
右上写真は、サンパウ病院の前の通りから、その突き当たりにあるサクラダファミリア聖堂を撮りました。
この聖堂は街のどこからも眺められ、まさにバルセロナ市のシンボルと言えます。

 サクラダ・ファミリア聖堂(世界遺産)
スペインに来るにあたって、是非ともこの目で見てみたいと思っていたのが、このサクラダ・ファミリア聖堂です。
1882年に着工して、120年以上が経っても未だ完成せず、この先推定100年は掛かるのではという建築物です。
着工された初代の建築家ビリャールの辞任にともない、31歳のガウディが引継ぎ、後半生のすべてをこの建築に捧げます。
これまでもガウディの作品を見てきたのですが、アントニ・ガウディ・イ・コルネットは1852年カタルーニャ地方のレウスという町に、金物細工師を父として生まれました。
建築学校を苦学して卒業し、1878年のパリ万博にショーケースを出品します。
その作品に目を留めたのが実業家のエウセビ・グエルで、その後ガウディのスポンサー役を務めます。
その頃(19世紀末)ちょうどバルセロナでは強力な経済活動力を背景に、カタルーニァ独自の文化運動モデルニモスが起こり、中でも独創的な建築スタイルを擁立したガウディはモデルニモスを代表する建築家となります。

見学でバスを降りたところからはすでに写真に収まらない大きさで、残念ながら全景を撮ることが出来ませんでした。
ガウディの構想では、キリストの「生誕」「受難」「栄光」の3つのファザード(建物の正面)に石に刻まれた聖書を置き、それぞれのファザードに12使徒を表す4本の鐘塔を建て、そして4人の福音書家を意味する4本の鐘塔の交差部の上に、キリストとマリアに捧げる中央塔を設けるというものでした。
完成時には合計18本の塔が建ち、ラテン十字型で、5身廊と3袖廊の交差廊という構成になる予定だそうです。
ガウディが完成させたのは東側の「御生誕の正面」とその4本の鐘楼で、実際本人が目に出来たのはそのうちの1本と言われています。
今は「生誕」「受難」のファザードと8本の鐘塔が出来ています。

私達が訪れた時は写真のように鐘塔のてっぺんはビニールで保護されていて、彩色豊かな先端が見えなくて残念でした。
私達はおのぼりさんなのでなんとしても塔に、橋が架かっているところまで昇る決意でいました。

「生誕の門」と4本の鐘塔
写真はキリストの誕生を描いた”生誕の門”の上方とその下です。
この門は東側にあり、キリストの誕生から幼少期の様子を彫刻をつかって描かれています。
もうすでにこちらの”生誕の門”は100年の歳月が経っているので、壊れた箇所もあり日本人の建築家も修理しています。
修理された像は新しいので白く見えています。
やはり自然の形態を重視した形で、ごつごつした岩肌のようで、グエル公園の形態と共通のものを感じました。
4本の塔も確かに皮をむいたとうもろこしを連想するようです。(笑)

内部=ただいま建設中

ステンドグラス
建物の中に入ると、そこは今まさに工事中という感じで、歴史的建造物の建築中に遭遇という感動が沸きます。
天井を支える柱は、木の枝のようになっていて、ガウディは、まるで森の中にいるというイメージで、教会の内部を設計した雰囲気が味えます。(笑)
ですからシンボルマークは動物や鳥となっています。
右上の写真のようなステンドグラスを見ると、本当に教会なんだとさらに実感出来ました。
聖堂内部の丸天井が完成し、現在は翼廊、交差廊、後陣の工事中です。

砂袋で実験です

模型を作りながら
また、聖堂の地下部分は博物館になっていて、模型や設計図等が展示されていました。
左上の写真は砂袋を紐に下げて、自然の線を描き出し、これを逆さに立てた状態が、この塔の姿になったそうです。
この曲線をはじき出すのに10年掛かったと言われます
右上は建設作業中の様子も見学することが出来ますが、人力に寄る仕事で、日本のビル建築とは違い、ゆっくりとした作業の印象を受けました。
作業員もボランティアの集まりで、国籍も様々だそうです。
この建設資金も信者からの寄付と教会拝観料のみの浄財で賄われ、これまでもしばし資金難で建設が停止したそうです。
私達の入場料も役に立っていると思うと嬉しかったです。
また最近は観光客が増加で収入が増えたため、仕上がりも若干早くなるのではと、言われています。(笑)
左下はファザードの模型で、右下は図面です。

模型

設計図

教会内部の模型

ガウディを模した彫刻

「受難の門」

「受難の門」の彫刻
こちらは西側に位置する”受難の門”です。
”生誕の門”の自然の曲線と比べ、こちらは直線や直線的な面が多く使われ、まったく印象が違うのはキリストの受難を表しているからだそうです。
左下、入り口の中央の柱にキリストは捉えられ、右上ではキリストは十字架に磔になっています。
そして、今現在もこの受難の門は右下のようにまだ建築中です。

捉えられたキリスト

建築中の受難の門と4本の鐘塔
一通りの見学を済ませると自由時間になりました。
ツアー見学は便利なのですが、自由時間に限りがあるのが難点です、これから”おのぼりさん”の実行です!(笑)
”受難の門”側にはエレベーターで塔に昇ることができますが、すでに30分から1時間待ちということで諦め、歩いて昇る螺旋階段を目指しました。
すれ違う時は肩を斜めにするぐらいの狭い幅の階段を、声に出さない掛け声を掛けながら一気に上ります。(右の写真参照)
一列に繋がっているので、一人で休憩することも叶いませんが、休むとなおのこと足がきつく感じます。
まるでカタツムリか巻貝の中をくるくると上りますが、ところどころに窓が開いていて外の景色が見えます。
その窓からは見学してきたグエル邸やサン・パウ病院も見ることが出来ましたが、流れに流れるまま動くのでカメラで撮ることも出来ませんでした。
ビニールで覆われた塔の色とりどりのガラス玉のような飾りを近くで見ることが出来き、満足です。(笑)
上った勢いのまま、停まることなく下って来ました。(所要時間上り20分、下り15分ぐらい)

自ら建築用の資金集めをしたり無欲主義に徹して晩年の人生を、この聖堂の建築に捧げたガウディは1926年路面電車に跳ねられて亡くなります。
余りにみすぼらしい服装に浮浪者と間違えられたそうですが、その葬儀には彼の作品を愛した多くの市民が集まったそうです。
そして今も多くの観光客や信者が訪れているのですから、素晴らしい多くの作品を残しましたね。




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