その3


 ピカソ美術館
ガウディが1852年生まれなら、パブロ・ピカソは1881年に南部のマラガで生ました。
ピカソのお父さんは美術の先生でしたが、その地でピカソの妹を亡くし、ピカソが14才の時に父の転勤でバルセロナに来ます。
当時のバルセロナの街はデモルニモスの前衛的な芸術活動が花開いていた時期で、その中でピカソも多感な青春時代を過ごします。
制作に1ヶ月はかかるという美術学校の入学試験の作品を1日で仕上げ周囲を驚かせ、16才の時にも賞を取りますが、1900年にはパリへ行きます。
青の時代、バラ色の時代、キュビスムなど時代と共に変貌し、1973年92歳で没するまで意欲的に創作活動を続けます。
ただフランコ政権の独裁を嫌い、スペインには戻らずパリでその生涯を終えました。

この辺の街並みは中世(13〜14世紀)の面影を残す旧市街地(ゴシック地区)で、石畳と石壁に趣があります。
モンカダ通りの石造りの家の中がピカソ美術館となっています。

中世の面影を残す街並み

ピカソ美術館

ピカソ美術館の正面です
左の写真はぼけてしまいましたが、石造りの邸宅のような落ち着いた雰囲気の美術館です。

この中にはピカソの幼年時代から晩年までの作品が網羅されています。
なかでも、余りお目にかかれない美術学校時代の作品などは実に写実的で興味深いです。
それらは良く「ピカソ以前のピカソ」に会えると言うそうです。
ピカソ自身も「私は子供の頃はまるでラファエロのように描いたものだった」と後年語っていたそうです。
左下のような教会での絵や人物像も多く描いています。
そして、面白かったのはその横の「鳩」の絵ですが、これは2点だけでなく色や描き方を変えた絵が数点あります。
写実からどんどん抽象的になっていく過程が見えるようで面白かったです。
ピカソの作品より(館内は写真撮影が禁止のため、パンフと絵葉書)

                
         妹を描いた「初聖体拝受」             「鳩」                          「鳩」
また興味深かったのは、これから行くプラド美術館にあるベラスケの作品「ラス・メニーナス」を題材にして描かれた連作「ラス・メニーナス」の作品(50点以上)です。
これはピカソがベラスケの絵をピカソ自身が解釈して、独自の人物表明で、展開したものです。

上の「鳩」の絵のように、何枚も試行錯誤というか、パターンを変えて描いています。
右の絵が、その集大成でしょうか、買ってきた絵葉書です。
それぞれの人物の見える外見を描くのではなく、内面を強調して描いたものとされています。

「ラス・メニーナス」
 ランプラス通りからモンジュイックの丘へ
 旧市街地の目抜き通りランプラス通りです。
通りの真ん中に大きな遊歩道があり、大道芸人が演じていて黒山の人だかりです。
この通りはカタルーニャ広場と港の中心地(下の写真)とを結んでいます。
プラタナスの並木道が綺麗で、日よけにもなっています、このちかくのレストランでお昼を頂きます。

その港の中心に建っているのが60mのコロンブスの塔です。
塔の上に立つコロンブスは1492年、新大陸を発見し、タバコやジャガイモ、トマト、ひまわりなどを持ち帰ります。
右下の像の指差す方角は当然大西洋・アメリカです。
左手にはアメリカ土産のパイプを持っています。
この像は1888年のバルセロナ万博の際に、カタルーニャとアメリカ交易を記念して建てられました。
塔内は展望台になっていて、エレベーターで昇ることが出来るそうです。

ランプラス通り

港にある広場

コロンブスの像

モニュメント(ミロ?風)

ベンチの上の屋根に大きな海老が?
 モンジュイックの丘からバルセロナを見る

丘から見るバルセロナ市内 

丘から見る地中海側
バルセロナ市内の北西にある丘がモンジュイックの丘で、17世紀にモンジュイック城がありました。(現在は軍事博物館)
モンは山、ジュイックはユダヤと言う意味でユダヤ人が多かったそうです。
1929年の万博より整備されて1992年オリンピックでのメイン会場となりました。
バスで坂道を登る道路はマラソンコースで心臓破りの丘と言われ、有森裕子さんが軽々と走っておられたのを記憶していますが、たしかにかなりの坂道です。

坂道を登れば眼下にバルセロナの街並みが見渡せます。
左上は真正面、黒い建物のまだ先にサクラダファミリャが見えます、まだその先の小高い山にグエル公園があります。
丘のすぐ下に塔が2本見えますが、スペイン広場があります。
右上は海岸側で、地中海ですが、コロンブスの塔があり、そばにクルーズ船が停まっています。
ガイドの方の説明では、明日の豪華客船で作家の橋田壽賀子さんが来られるそうです。
そう言えば帰宅後見たTBSの番組で、泉ピン子さんと安住アナウンサーがバルセロナの番組をしていました。
そこでも「明日橋田壽賀子先生が到着」と言っていましたから、私たちとニアミスだったようです。(笑)
この丘の上には万博時の、スペインの各地の特色を生かしたテーマパークがスペイン村として残っています。

アビラの城壁を模した入り口

ミロ美術館
車窓見学でしたが、、この目で見てきたので、載せておきます。
左上はアビラの城壁を模した入り口で、万博の時に使われた会場跡です。
右上はバルセロナ生まれの画家、ミロの美術館で白い建物が地中海の明るい日差しに映えています。
ミロの友人・ホセ・ルイス・セルトの設計で、ミロ自身の寄贈による作品300点近くが展示され、現代芸術センターとして若い技術家のための施設も解放されているそうです。
中世美術の分野ではヨーロッパでも有数の美術館といわれるカタルーニャ美術館も見て通りました。
 スペイン広場

ガウディの弟子フホル作の噴水
丘から下り、ホテルへ戻ってから、フロントで日本へ出す葉書に貼る切手を求めたところ、ホテルの向かい側のお店に売っていると言われたので、2人で買いに行くことにしました。
指差された商店の看板に「tabaco」とあり、「tabaco」の看板のところには大抵切手が置いてあるそうです。
そうか、タバコはスペイン語(&ポルトガル語)なのだと実感しました。(笑)
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本へキリスト教の布教に渡来、その後両国は関係がありました。
向かい側といっても地下鉄が走っている大通りを渡るので信号のあるところまで行き、また戻るので距離があります。
お店に着くと、確かにタバコ屋でタバコだけが並んでいました、スペイン風いかついあんちゃんが店番でした。
私たちは「I want a satamp.」そして「Japan」・・・というと通じました。(笑)
後は枚数を言って、料金はユーロとセントですから計算して手渡しました、とても優しいお兄さんでした。
私たちは「Thank you.」と言いましたが、「Gracias」といわれました、そうでした(笑)、どこへ行っても子供の買い物です。(笑)

上はその際に少し足を延ばして撮った写真で、これはバルセロナのスペイン広場です。
左は、ガウディの弟子による噴水で、下が地下鉄「エスパーニャ」駅になっています。
この写真の左側はラス・アレナス闘牛場で、街の真ん中にあります。
右上は門でしょうか、丘の上からよく見えましたが、バルセロナの見本市会場で、真ん中に大通りがあり、正面にはモンジュイックの丘のカタルーニャ美術館があります。
私たちはその門の中には進まず見るだけにしてホテルへ戻りました。


 食事編(バルセロナ)
   
 朝食(ホテルにて)
アメリカン風バイキングで結構食材が豊富でした。 生ハムが嬉しい。 パンも美味しいかったです。
昼食(ホテル・ランプラ内レストラン)
こちらの名物料理・フィデウア(炊き込みパスタ)。煮込み焼きそばみたいでした。(笑)デザートはババロア風
夜(レストランで)
これで前菜です 仔牛肉のソテーです デザートはプリンです


 本日の世界遺産は、アントニ・ガウディの作品群(群にまとめることになりました)とサン・パウ病院(ドメニク・モンタール)の2つです。




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