赤い丘といわれるグラナダの高台に建つアルハンブラ宮殿
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グラナダの歴史は7世紀からのイスラム教徒(モーロ人=北西アフリカのイスラム教徒)の流入により、アラブ人の手で開墾されます。
グラナダ王国が開国されたのは1238年ナルス王朝の都として栄えます、すでにその頃ゴルドバとセビーりャが、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動=
キリスト教の再征服)で陥落し、ゴルドバを追われたイスラム教徒達も集まり、農業と共に産業も栄えます。
1492年、もはやそのレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断し、アルハンブラはその歴史に終止符を打ちます。
イベリア半島最期のイスラム王朝が栄えた都はアルハンブラの最後の王ボアブディルにより無血開城し、城はカトリック女王イサベルに明け渡されました。
それにより、多くの建築物や文化が残されたのです。
ただ18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、荒れ果ててしまったのが、19世紀のアメリカ人作家ワシントン・アーゼングの「アルハンブラ物語」によって注目を浴び再建されはじめました。 |
ヘネラリフェ(夏の離宮) |
オレンジの木 |
すいれんに薔薇と天人花の植え込みと糸杉の垣根 |
アルハンブラ宮殿は観光客も多く、当日券で入れないことも多いそうです。
私たちはグループ観光ですし、前日に予約を入れてあるので安心です。
学校からの課外学習というのでしょうか、多くの小・中学生達を見かけました。
良く子供達から最初は「China?Japan?」と聞かれたのですが、Japanとわかると速効伝達ゲームのように全体に伝わり、どこであっても「こんにちわ!」「こんにちわ!」と声を掛けてきます。
私たちもWhere are you from?と聞くと、Franceと返って来ました。
外国から団体見学?と驚く・・・ことはありませんね、陸続きのお隣の国で、同じユーロ圏ですから。(笑)
またBye! Bye!と言うので、さよなら、と手を振ると、「さよなら」と返してくれました、確かにフランスからの観光バスは多かったです。
アルハンブラ宮殿は王宮、 ヘネラリフェ(夏の離宮)、カルロス5世宮殿、アルカサバの4つに大きく分けて見学です。
まず一番遠い太陽の丘にあるヘネラリフェ(夏の離宮)跡と庭園からです。 |
夏の離宮 |
庭園の中央の水路と噴水 |
噴水に、糸杉、薔薇やオレンジの木や天人花(テニンカ)を配したイスラム=スペイン様式で、彩りも太陽に映えます。
バルセロナのガウディの建築とは正反対で、直線が多く長い水路を中央に配し、砂漠の中に涼やかさを呼び込むイスラム風でしょうか。 |
窓から見えるアルハンブラ宮殿 |
緻密な彫刻が施された部屋 |
建物中の細工も細かく緻密でイスラム芸術を味わえます。
窓の外に見えているのが、アルハンブラ宮殿の中枢部ナルス朝宮殿で、結構距離がありました。 |
アルカサバ |
堀から見るアルカサバの塔 |
アルカサバの跡地 |
アルカバサはアルハンブラで最も古い部分で、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いたものです。
キリスト教国の攻撃から都を守るためにアラブ世界の軍事技術を集結した難攻不落の要塞となったそうです。
今は跡地と、塔が一つ残っているだけです。 |
カルロス5世宮殿 |
宮殿の入り口 |
中の円形(広場) |
アラブ王が去って50年後、スペイン国王カルロス5世が1526年に新婚旅行でアルハンブラ宮殿を訪れた際に建設を決めた宮殿です。
外側の建物は真四角(左上)なのに、入り口を入ると、そこは円形でした。(右上)
まるで、ローマのコロッセオをみたいだな?と思いましたが、ルネッサンス様式につくられ、2階の天井が出来たのは1960年になってからだそうです。
今は1階は宮殿関係の品を展示するアルハンブラ博物館、2階は美術館になっています。 |
アルハンブラ宮殿(ナルス朝宮殿) |
アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味します。
またアンダルシアに見受けられるムデハル様式というのは、アラブ様式が破壊されることなくキリスト教文化に接木され異なった時代に異なった様式の建築物の複合体ということです。
訪れる者を千夜一夜の世界に誘う、幻想的なナルス朝宮殿で、王が政治を司り、また住空間でもあったアルハンブラ宮殿の心臓部です。
まず入り口の足元を見ると、これはザクロでしょうか、黒い石で描かれていました。
ファサードくぐり中に入ると、壁や柱の見事な細工の彫刻や、幾何学模様やアラビア文字の装飾に圧倒されます。 |
入り口の敷石の絵 |
柱の模様 |
素晴らしい彫刻です |
アラベスク模様にアラビア文字 |
宮殿の中心部となるコマレス宮とアラヤネス(天人花)の中庭です。
水の両側に植えられ刈り込まれているのが天人花の木です。
夏の離宮でもそうですが、庭に水は欠かせず、ここでも中庭いっぱいにつくられた水に赤土の壁や白い壁の宮殿が映え、水の芸術に清々しさを感じます。
賓客はこの中庭を通って大使の間に通されるのでしょう。 |
南側の回廊・コマレスの塔が見えます
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北側の回廊
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コマレス宮(上の写真)をすぎると右側にライオンの中庭に出ます。(左下の写真)
142本の大理石の柱からなる回廊に囲まれ、中央には12頭のライオンに支えられた噴水があるそうです。
残念ながら、私たちが訪れた頃は、ライオンの噴水は修理中で取り外され、左下の写真の中央部のように白いアルミ材で囲ってありました。
それで、チケットの中央部分にその写真(絵)がありましたので、右に載せてみました。
左がそのチケットですが、日付から時間指定まで書いてあります。
「General」の見学となっていて、「Precio」は10.00€(=1600〜1700円位)となっています。
そして、「COMISION VENTA SERVICE」として0.88€としてサービス料は外付けのようです。(笑)
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中庭の中央にあるライオンの噴水が修理中 |
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この噴水の周りはかつて色とりどりの花が咲き、花の絨毯のように見えたそうです。
この幻想的な空間は王族のプライベートの間で、贅を尽くした空間で、緻密な大理石の彫刻には溜息が出ます。
中庭の南側はアヘンセラッヘスの間で、この2階はハーレムになっているそうです。
中庭の東側は諸王の間で、各天井に絵画が残されています。 |
大理石の彫刻 |
鍾乳石飾り |
北側の間は二姉妹の間と呼ばれ、ライオンの中庭周辺では一番古い建物とされ、天井の鍾乳石飾りは宮殿一の精密さを持つ美しさと言われています。(右上の写真)
その2階の間の窓から外を見ると、リンダラハの中庭が見えます(左下)糸杉に囲まれた中央に噴水があります。(右下) |
幾何学模様のタイルが美しい |
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バルタル庭園
ナスル朝宮殿を出るとバルタ庭園があります。(左上)
イスラム時代は貴族の宮殿や住宅・モスクなどが建ち並ぶ緑地だったそうです。(城内に2000人以上の人々が暮らしていた)
アルバイシンを見下ろす展望台に、貴婦人の塔があります。
庭園から糸杉の植えられた遊歩道を進むと、ヘネラリフェ(夏の離宮)の入り口に至るそうで、ぐるっと1周回れる感じです。 |
バルタ庭園 |
貴婦人の塔 |