Granada



 アンダルシア州グラナダへ
 バルセロナは工業地帯ですが、EUに入ってから物価が倍近くになったそうで、コーヒーも2倍の値段だそうです。
そのバルセロナの多くの建築物に堪能され、本日はバルセロナを発ってグラナダへ空路移動です。
これまでスペインと聞いてすぐに浮かぶのは闘牛やフラメンコですが、そういう意味でも、その本場の地アンダルシアを訪れるのはワクワクとします。

スペインは、イベリア半島の80%(あとはポルトガル)を占め、17の自治州から構成され、各州は50の県に分かれています。
北のピレネー山脈を隔ててフランスと接し、南は地中海を隔てアフリカと向かい合っています
右の地図でもっともスペイン最南部に位置するのが、アンダルシア州です。
この州は位置的にも北アフリカとの関係を密接にしてきましたが、なかでも8世紀初めから800年続いたイスラム教徒による支配はこの地方に多くの影響を与えました。
スペインの中でも特に、地中海に面した地域では昼は暑いので、2時から4時の間に昼休み・シエスタを取ります。
その結果猛暑の時の死亡が少なくなったそうです。
シエスタの間、ゆっくりとした昼食を取るか、昼寝をします。
お店も閉まってしまいます。
セビリアの方では日中の気温は四十度から50℃にもなるそうですが、クーラーはなく、湿気が少ないので閉めて昼寝をするそうです。
その後また開店し、夕飯は8時半か9時頃から取るそうです。

左の写真はバルセロナのプラット空港ですが、もちろん空港でシエスタはありませんが、空港全体で朝からコンピューターがダウンしてしまい、待ちぼうけです。

トランクを持ったまま、コンピューターの回復待ちで、中にはトランクを開けて荷物の整理を行う人もありました。(笑)

左写真のようにヨーロッパはほとんどがそうですが、入り口が大きな回転ドアになっています。

ようやく1時間遅れでチェクインし、10時20分発が1時間遅れとなり、グラナダ12時30分着でした。

バスでバルセロナから来ると約13時間かかるといいますから、まだずっと早い到着です。(笑)

バルセロナは曇りだったのですが、グラナダは快晴です。
さんさんと降り注ぐ陽光は、眩し過ぎるぐらいです。
右の写真はグラナダ空港ですが、最近国際化したそうです。

街中も眩しい日差しです。
やはりこの車の列も、シエスタ中ということのようで、街中は人が少ないです。
ただ観光客にシエスタはありません、予定通りの見学を進めます。(笑)
まず予約してあるホテルのレストランで昼食を取り、ホテルに荷物を置いてから見学に出かけます。
右上の写真はレストラン前で撮りましたが、中世の城壁の門が残されています。

グラナダはシェラネバダ山脈のふもとに位置する海抜650mの盆地です。
東50キロ、東西35キロの街で、人口25万人で総合大学があり6万人の大学生がいて、観光と大学生で持っている街だそうです。
左下の写真はグラナダ大学と大通りです。(グラナダ大学は医学部が有名)
右下の写真は宿泊するホテルの前の通りから、シェラネバダ山脈を見ることが出来ますが、3000m級の山並みの頂は雪で真っ白で、南側にはスキー場があります。
グラナダとはザクロの意味で、ザクロがグラナダのシンボルマークになっています。

大学のある街

通りの向こうに見えるシェラネバダ山脈




 アルハンブラ宮殿(世界遺産)


 
赤い丘といわれるグラナダの高台に建つアルハンブラ宮殿

グラナダの歴史は7世紀からのイスラム教徒(モーロ人=北西アフリカのイスラム教徒)の流入により、アラブ人の手で開墾されます。
グラナダ王国が開国されたのは1238年ナルス王朝の都として栄えます、すでにその頃ゴルドバとセビーりャが、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動= キリスト教の再征服)で陥落し、ゴルドバを追われたイスラム教徒達も集まり、農業と共に産業も栄えます。
1492年、もはやそのレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断し、アルハンブラはその歴史に終止符を打ちます。
イベリア半島最期のイスラム王朝が栄えた都はアルハンブラの最後の王ボアブディルにより無血開城し、城はカトリック女王イサベルに明け渡されました。
それにより、多くの建築物や文化が残されたのです。
ただ18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、荒れ果ててしまったのが、19世紀のアメリカ人作家ワシントン・アーゼングの「アルハンブラ物語」によって注目を浴び再建されはじめました。


ヘネラリフェ(夏の離宮)

オレンジの木

すいれんに薔薇と天人花の植え込みと糸杉の垣根
アルハンブラ宮殿は観光客も多く、当日券で入れないことも多いそうです。
私たちはグループ観光ですし、前日に予約を入れてあるので安心です。
学校からの課外学習というのでしょうか、多くの小・中学生達を見かけました。
良く子供達から最初は「China?Japan?」と聞かれたのですが、Japanとわかると速効伝達ゲームのように全体に伝わり、どこであっても「こんにちわ!」「こんにちわ!」と声を掛けてきます。
私たちもWhere are you from?と聞くと、Franceと返って来ました。
外国から団体見学?と驚く・・・ことはありませんね、陸続きのお隣の国で、同じユーロ圏ですから。(笑)
またBye! Bye!と言うので、さよなら、と手を振ると、「さよなら」と返してくれました、確かにフランスからの観光バスは多かったです。

アルハンブラ宮殿は王宮、 ヘネラリフェ(夏の離宮)、カルロス5世宮殿、アルカサバの4つに大きく分けて見学です。
まず一番遠い太陽の丘にあるヘネラリフェ(夏の離宮)跡と庭園からです。

夏の離宮

庭園の中央の水路と噴水
噴水に、糸杉、薔薇やオレンジの木や天人花(テニンカ)を配したイスラム=スペイン様式で、彩りも太陽に映えます。
バルセロナのガウディの建築とは正反対で、直線が多く長い水路を中央に配し、砂漠の中に涼やかさを呼び込むイスラム風でしょうか。

窓から見えるアルハンブラ宮殿

緻密な彫刻が施された部屋
建物中の細工も細かく緻密でイスラム芸術を味わえます。
窓の外に見えているのが、アルハンブラ宮殿の中枢部ナルス朝宮殿で、結構距離がありました。



アルカサバ

堀から見るアルカサバの塔

アルカサバの跡地
アルカバサはアルハンブラで最も古い部分で、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いたものです。
キリスト教国の攻撃から都を守るためにアラブ世界の軍事技術を集結した難攻不落の要塞となったそうです。
今は跡地と、塔が一つ残っているだけです。



カルロス5世宮殿

宮殿の入り口

中の円形(広場)
アラブ王が去って50年後、スペイン国王カルロス5世が1526年に新婚旅行でアルハンブラ宮殿を訪れた際に建設を決めた宮殿です。
外側の建物は真四角(左上)なのに、入り口を入ると、そこは円形でした。(右上)
まるで、ローマのコロッセオをみたいだな?と思いましたが、ルネッサンス様式につくられ、2階の天井が出来たのは1960年になってからだそうです。
今は1階は宮殿関係の品を展示するアルハンブラ博物館、2階は美術館になっています。



アルハンブラ宮殿(ナルス朝宮殿)
アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味します。
またアンダルシアに見受けられるムデハル様式というのは、アラブ様式が破壊されることなくキリスト教文化に接木され異なった時代に異なった様式の建築物の複合体ということです。

訪れる者を千夜一夜の世界に誘う、幻想的なナルス朝宮殿で、王が政治を司り、また住空間でもあったアルハンブラ宮殿の心臓部です。
まず入り口の足元を見ると、これはザクロでしょうか、黒い石で描かれていました。
ファサードくぐり中に入ると、壁や柱の見事な細工の彫刻や、幾何学模様やアラビア文字の装飾に圧倒されます。

入り口の敷石の絵

柱の模様

素晴らしい彫刻です

アラベスク模様にアラビア文字
宮殿の中心部となるコマレス宮とアラヤネス(天人花)の中庭です。
水の両側に植えられ刈り込まれているのが天人花の木です。
夏の離宮でもそうですが、庭に水は欠かせず、ここでも中庭いっぱいにつくられた水に赤土の壁や白い壁の宮殿が映え、水の芸術に清々しさを感じます。
賓客はこの中庭を通って大使の間に通されるのでしょう。

南側の回廊コマレスの塔が見えます

北側の回廊


コマレス宮(上の写真)をすぎると右側にライオンの中庭に出ます。(左下の写真)
142本の大理石の柱からなる回廊に囲まれ、中央には12頭のライオンに支えられた噴水があるそうです。
残念ながら、私たちが訪れた頃は、ライオンの噴水は修理中で取り外され、左下の写真の中央部のように白いアルミ材で囲ってありました。

それで、チケットの中央部分にその写真(絵)がありましたので、右に載せてみました。
左がそのチケットですが、日付から時間指定まで書いてあります。
「General」の見学となっていて、「Precio」は10.00€(=1600〜1700円位)となっています。
そして、「COMISION VENTA SERVICE」として0.88€としてサービス料は外付けのようです。(笑)


中庭の中央にあるライオンの噴水が修理中
この噴水の周りはかつて色とりどりの花が咲き、花の絨毯のように見えたそうです。
この幻想的な空間は王族のプライベートの間で、贅を尽くした空間で、緻密な大理石の彫刻には溜息が出ます。
中庭の南側はアヘンセラッヘスの間で、この2階はハーレムになっているそうです。
中庭の東側は諸王の間で、各天井に絵画が残されています。

大理石の彫刻

鍾乳石飾り
北側の間は二姉妹の間と呼ばれ、ライオンの中庭周辺では一番古い建物とされ、天井の鍾乳石飾りは宮殿一の精密さを持つ美しさと言われています。(右上の写真)
その2階の間の窓から外を見ると、リンダラハの中庭が見えます(左下)糸杉に囲まれた中央に噴水があります。(右下)

幾何学模様のタイルが美しい



バルタル庭園

ナスル朝宮殿を出るとバルタ庭園があります。(左上)
イスラム時代は貴族の宮殿や住宅・モスクなどが建ち並ぶ緑地だったそうです。(城内に2000人以上の人々が暮らしていた)
アルバイシンを見下ろす展望台に、貴婦人の塔があります。
庭園から糸杉の植えられた遊歩道を進むとヘネラリフェ(夏の離宮)の入り口に至るそうで、ぐるっと1周回れる感じです。

バルタ庭園

貴婦人の塔





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