Madrid

  マドリッド
旅行7日目にして、スペインの首都マドリッドにやってきました。
イベリア半島のほぼ中央の標高655mのメセタ(高原)に位置し、人口約310万人の大都市です。
一年を通じて晴天の日が多く、空気は乾燥し、寒暖の差の激しい内陸性気候です。
この日は5月の半ばですが、今までは夏を思わせるような気候だったのですが、この日はマドリッドは快晴にもかかわらず、気温が低く、これまでの服装では震えてしまいました。

さすが、ヨーロッパのパリ、ロンドンに並ぶ3大都市の一つのマドリッドですから、大きな街並みです。
街の歴史は9世紀にアラブ人が現在の王宮の場所に砦を築き、アラビア語で砦は「マヘリット」と言う意味から変化してマドリッドと呼ばれるようになりました。
マドリッドが歴史の表舞台に姿を現すのは1561年フェりべ2世がこの地に宮廷を移し、ハプスブルグ朝スペイン帝国の首都として発展を遂げ、現在に至っています。
ヨーロッパ3大都市の一つですから、ゆっくりと下車観光したいところですが、美術館観光があるので、その道中のバス車内観光となります。
上の写真はエンペラドール・カルロス5世広場で、建物は農林水産省のビルです。
その前には、右の写真のアトーチャ駅があります。
ここは国際線も発着するスペインの陸の玄関口です。
青と白色の幕は、工事中のようでした。

車中から撮った写真で、しばしプラド美術館周辺の市内観光です。
交差点に噴水のあることが多く、広場として名前がついています。

アトーチャ駅
 
レティーロ公園

レコレスト通り

プラド通りこの日は日曜日で朝から人出も多い感じでした

中央郵便局この前がシベーレス広場
 
シベーレス広場から見る大通り

カノバス・テル・カステーリョ広場
 プラド美術館
プラド美術館は世界の1級美術館です。
そのPRADOとはスペイン語で、牧場を意味します。
元々この地域が緑豊かだったこともありますが、カルロス3世のころ自然科学博物館として、1785年に着工されました。
ちなみに隣は緑豊かな王立植物園で、前も緑がいっぱいの広いレティーロ公園です。
その後1819年フェルナンド7世の命で、歴代の王立コレクションが集められ王立美術館となります。
絵画館としては世界一を誇るプラド美術館で、絵画の数だけでも8000点を超えるそうです。
この日は日曜日で、美術館は朝から入場の長い列が続きます。
私たちは団体で、入場は早くに出来ましたが、日曜日ということで、中は自由鑑賞となります。
団体でのガイド付きの行動が館内では出来ない日ということです。
大きさは地下から、地上階(日本の1階)、1階、2階にわかれ、とにかく膨大な数で、限られた時間内ですから、私たちは見る作品を先に搾りました。

ゴヤ門

ゴヤ像
私たちが入場した入り口には右上の写真のゴヤの像が立っているほうで、ゴヤ門と呼ばれるところでした。
フランシスコ・デ・ゴヤの作品、エル・グレコの作品、そしてピカソ館でピカソがヒントを得た作品のディエゴ・ベラスケ、ルーベンスの「三美神」、ボッスの「悦楽の園」と見て回ることにしました。(作品は絵葉書・パンフより)
見たいものを見た後は時間がある限り、全体を見て回り、売店でガイド本と絵葉書を買いました。


ベラスケ「ラス・メニーナス」


良くどちらがお好き?と話題になる
ゴヤの「着衣のマハ」(上)と「裸体のマハ」(下)です

エル・グレコ「胸に手を置く騎士の肖像」

ボッシュ「快楽の園」
 国立ソフィア王妃芸術センター

8世紀の病院をモダンに改装した美術館

右端のエレベーターで2階へ上がります

中庭のオブジェ

日曜日なだけにお父さんが子供と美術館
プラド美術館見学の後、今度はソフィア王妃美術センターに来ました。
こちらは1992年オープンで、建物は18世紀の病院を現代風に改装し、スペインを代表する現代美術館となっています。

「ゲルニカ」に会えました!
とにかくピカソの「ゲルニカ」を常設展示していることで知られている美術館です。
サグラダフミリァと同じだけ見たいと思ってたピカソの作品なので感激しました。
市民戦争が始まった翌年の1937年4月26日、バスク地方の小さな町ゲルニカはフランコ将軍を支援するナチスのドイツ軍機によって爆撃されました。
人口6000人のうち2000余人の死傷者を出した惨事を知ったピカソは、同年のパリ万博の依頼の作品に取り上げ、それは戦争への怒り、生命の尊重を全世界にアピールしました。
大きさは約縦3,5m横8mのスペイン館の壁画でした。
また内戦にはフランコ政権が勝ち独裁政権となり、パリ万博終了後もスペインにこの作品は帰ることなく、40年間アメリカのニューヨーク近代美術館に保管されました。
その後フランコ政権の要請にもピカソは拒否し続け、1973年にピカソは死亡、その2年後の1975年にフランコ将軍が死亡し、1977年にスペインで自由選挙が行われ、ようやくスペインとニューヨーク近代美術館で話し合われ、1981年「ゲルニカ」はスペインに帰国します。
またこの絵は惨状を闘牛に例え、牡牛をファシズム、馬を抑圧された人民に例えたとも言われています。
白、灰、黒の色彩は、いろんな色彩で描かれるよりも、怒りと悲しみのインパクトが強く感じられるのだと思いました。

この王妃芸術センターには他にもダリやミロなど現代美術の巨匠たちの作品がありました。



                                                                     

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