本日はマドリッド州より、一番面積の大きな州・カステーリャ・レオン州へ行きます。
私たちの旅行の一番北西部(ポルトガルに近い方)を訪れることになります。
カステーリャとはお城が多い地方と言う意味で、こちらにも多くの古城や廃墟が存在します。
セゴビアはカスティーリャ・レオン州、セゴビア県の県庁所在地です。
標高1002m、人口5万5000人です。
1000m以上という高台にあるセゴビアですが、古代ローマ時代から発展し、中世の面影が残る城塞都市です。
マドリッドから約1時間半、高速道路を走りました。(右の写真) |
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道路わきの景色というのは、やはり岩石がいたるところにあり荒地という感じがします。
左写真のところどころに黒い羊が草を食べています。
中世の頃に移牧のルート上にあったため羊毛や毛織物の取引が発展したところです。
しばらく行くと、「Segovia」の看板に遭遇です。 |
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ローマ水道橋(世界遺産) |
怪しかった空模様もセゴビアに着いた頃には晴れ渡って来ました。
でも高地なだけに空気が冷えていて寒く、手がかじかみます。
バスから降りて、進むにつれ見えてくるではありませんか、ローマ時代に建設された水道橋です。
2000年の時を隔てて、壊れることなく私たちの目の前に、未だ使用可能という姿を見せてくれ感動です。 |
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この巨大な水道橋は1世紀後半にローマ人により建築され、全長728m、最も高いところはアソゲホ広場横で約29mあるそうです。
何よりも接合材(セメント等)を一切使わず、花崗岩のブロックを積み上げるだけで建築された2段アーチ式の巨大な遺跡です。
アーチの部分がどうなっているのか不思議ですが、お互いの反発力で持っているそうです、一つも欠ける事ができません。
またこの美しいアーチの数は167個で、15km以上離れたアセベタ川から、1884年まで水は上部を通りセゴビアの町に供給されていたそうです。
もちろん今は使用されていませんが、今でも使えるということです。
そして100mで7cmの傾斜といいますから、いかにその土木技術が発展し、高度なものだったかがわかりますね。
ただクレーンも何もない時代ですから、エジプトのピラミッドではありませんが、当然奴隷が働かせられ石を積み上げて造った血と汗の結晶です。
それを考えると、この時代でなく現代に生きていて良かったな〜と思いました。(笑) |
美しいアーチです |
石の芸術です |
反対側から(向こうから手前に水が流れるようです) |
この水道橋のあるところの広場がアソゲホ広場です。
周りを見回すと、左下の写真のように家々の後ろはぐるっと城壁に囲まれています。
右下の写真はアソゲホ広場の中央の橋のすぐ下(左側)にあるお店です。
110年の老舗で15世紀の民家をレストランに改装し、セゴビア名物の子豚の丸焼きが食べられるので有名だそうです。
このメソン・デ・カンディドというお店には、世界のVIPが訪れるそうです。 |
住宅の後ろに城壁が |
メソン・デ・カンディド |
水道橋を後にして、セルバンテス通りの坂道を上がります。
左下のような町の中央通りで両脇が土産物や生活品の商店街になっています。
かなり上りました、振り返ると眼下に町(アソゲホ広場の方)が見えます、中央の塔はセゴビアで最も古いといわれるサン・ミリャン教会の塔です。 |
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カサ・デ・ロス・ピコス
16世紀の貴族の館で、ピコとはスペイン語で先がとがったものという意味で、壁全体にピラミッド型の突起物があります。 また別名「口ばしの家」とも言うそうです。 |
カサ・デ・ロス・ピコス邸 |
黒い鉄格子が合う16世紀の貴族の館 |
壁に細かい文様のあるアルペインテ伯爵邸 |
サン・マルティン教会 |
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セルバンテス通りから、ファン・ブラボ通りへ来ると、サン・マルティン教会とサン・マルティン広場に着きます。
広場の中央にはカルロス1世の独裁政治に対抗して、都市の自治を求めて(コムネロスの反乱)約半年間たたかったファン・ブラボの像が建っています。(右端の像)
またまわりは、12〜15世紀の貴重な建築物が残されて、中世の雰囲気が残っています。
さらにファン・ブラボ通りを進むとカテドラルが見えてきます。(左下の写真)
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中世(15世紀)の家 |
ファン・ブラボ通りから見えるカテドラル |
マヨール広場
ほどなくマヨール広場に到着です。
左下の写真の広場の真ん中に、東屋があります、その右後ろの肌色の建物はファン・ブラボ劇場です。
その反対側、マヨール広場正面に市庁舎があります。 |
中央にある東屋 |
市庁舎 |
アソゲホ広場から、通りの名をセルバンテス通り、ファン・ブラボ通り、この先はイザベル通りといい、この3つをまとめて「王の通り」というそうです。 |
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